東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

研究室ダイアリー

祝、大学院合格(11/28)

2011年11月28日 (月)

 11月も終わりが近づき、ずいぶん寒くなりました。もう少しで氷点下、いわゆる、冬日になりそうということもありましたが、昨日、今日は、それほどでもなく。研究室も年末の最後のがんばりで、いろいろな成果をまとめる時期になってきました。

 さて、先週の月、火曜日、11/21, 22には、大学院前期課程のII期試験でした。渡辺の研究室を希望してくれていた学生さんは、1名でした。オープンラボにもきて頂き、受験となりました。詳しいことは、また後ほど書きますが、2005年から始めた、出前講義が受験のきっかけだったのは、何ともうれしい限りです。

 今日はその合格発表でした。研究科のHPにも掲載されているとおり、来年の4月からM1として、研究室で研究をして頂けるようになりました。合格、おめでとうございます。I期の合格の1名に加えて、来年からは2名の新メンバーの加入により、labがまたよりactiveになります。一緒に研究できるのを楽しみにしております。。


 わたなべしるす

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3/11(金)、14:46から今日まで、その18(11/25)。

2011年11月26日 (土)

 10/13に、この連載記事を書いてから、貯まっていた多くの出前講義をこなしたりしたこともあって、また、毎月10日前後に大きな地震が起きていたのも起きず。。。その代わり、ここ数日、日本の北から南で、それなりの大きさの地震が。。。何を意味するのか。。。昨日の夕方のニュースの時間の「地震が来ます!!」という久しぶりのテロップというか、アナウンスには驚かされた。逆に言えば、そんなことが、最近起きてない。。。よいことなのだろうが、緊張感もなくなってきているのも事実であろう。

 地震に対する緊張感、放射能汚染に対する緊張感、3/11から1ヶ月であれば、かなりぴりぴりしていたし、夏前でもそうだったような気がする。そんな緊張感がよい意味か、悪い意味か、とけ始めて、結果として、疲れが出ている感じがある。大学の教員を調べたdataではないが、小中学校の先生だったと思うが、今まで以上に子供たちのことを気にとめて、また、平時と同じように授業がある。そんなことで、半数以上だったか、2/3以上だったか、かなり無理をされていると。大学でもそんな調査はないのだろうか。。。

DSCN1467.JPG ということでいいわけではないが、11/23の勤労感謝の日当たりに体の方がパンクした。。。ぎっくり腰というのは、あまり重たいものでないものを持ち上げようとしたときになるらしいが。。そうしたことをした覚えはないのだが。。8ヶ月と10日でパンクして、何とか起き上がれる格好で、昔の猿人、アウストラロピテクス属の何かのような腰が曲がった状態で。こんなのでは、さすがに、大掃除のおじゃまでしかなく、また、学生さん、スタッフの皆さんのご厚意で、医者に行って、何とか、直立できるホモ属にもどれた。ただ、筋肉の張り、脊髄のずれが直っただけで、また、元に戻ろうとする。腰の方を守ろうとして、体の他の部分に負荷をかけて、膝などに痛みが来る。ゆがみを直さないで、別の場所で調整する。生き物の不思議さを感じる。

 植物では、同じようなことが起きるのだろうか。何かがおかしくなり、それを別の方法で直して、結果として、何も変わらないように見える。すぐに思いつかないが、肥培管理には、ひとそれぞれの特徴があるが、最終的な収量は、品種が同じであれば、さほど変わらないような気がする。このたとえが正しいのか、間違えているのかわからないが、生物の持つ可塑性の1つなのだろうか。本当の可塑性であれば、ちゃんと元の場所を戻すのが、可塑性のような気がする。その意味では、自分自身、正しく可塑性を使えてないのかもしれない。。。いきものを扱っていて、いきものある自分を直せない。。なんとも。。。という気持ちになった。

 ひとが所属している組織、毎日の生活など、何でもそうであろうが、3/11の前と比べて、同じようになっているつもりでも、やっぱりどこかはねじれていて、それを違う方向にねじって、一見、3/11以前と同じように見せているような部分もあるような気がする。どんなものでもそうかもしれない。壊れたものは、元の形に基本直して、活動するのが。もちろん、数段上へのversion upはあってしかるべきであろうが。。

 研究室のみなさまに大掃除の負担をかけて、この程度のことしかわからないかとしかられそうであるが、。。せめてものお礼とお詫びの印に。。。

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 わたなべしるす


 PS. 最近の新聞紙上に、「震災後これまで、長い時間の頑張りの蓄積が来ているようで、仙台にも心のケア拠点が出来る旨」というものが。。より多くの方の心と体のケアがされてほしいものだと。。。



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11月にはいり

2011年11月11日 (金)

 
朝晩は指先がかじかむような寒さになってきました。
 
先月末が誕生日で、ラボのM1のみなさんがケーキを買ってくれました。
どうもありがとうございました。嬉しかったです。
最近毎日が早くて早くて。あっという間に1年経ってしまいました。
もしあのときこうしていたら、とか、分かれ道の向こう側に残してきたものはいつまでたっても懐かしいのでしょうね。
 
暇ができたら本が読みたいです。SFが好きでよく読みます。
SFの醍醐味は未来を考えることでしょうか。
物語は数百年とか数千年とか未来の話ですが、実際何年か後には自分は世界から居なくなり、その後のことはわかりません。
 
― 無限の昔から、世界は〈私〉なしに存続してきた。わずか数十年(長くてせいぜい百年)の例外期間を過ぎて、世界はまた〈私〉なしに存続していくであろう。(永井均)
 
近代的な科学の発展というのは、人間的なものがどんどんと物質に還元されていく過程ですが、そのなかで人はいかに人間性を保ってゆくのかという思考実験としてSFはたいへん面白いです。
 
M1 山村

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書き物、トレーニング、体裁。。。(11/7)

2011年11月 7日 (月)

 最近、いろいろな書き物をする。研究を行っているので、論文、それも英語でというのが、一番しないといけない書き物なのだろうが、どうも苦手である。では、日本語はといわれると、少しはかけるようになった気がする。何より、パソコンのおかげかもしれない。小学校の頃の書き物といえば、読書感想文。夏休みの宿題であり、何より苦手であった。最初のきっかけが悪かったのかもしれない。小学校1年生の時、読んだ本がたしか、「もちもちの木」だったような。どんな本かは忘れてしまった。子供心に、怖いイメージの挿絵だったような。そんなこともないだろうか。。。忘れた。どんな感想を書いたかも忘れたが、担任の先生は、職員室に呼んでくれたりして、一生懸命に指導してくれた。それが何を意味しているのかわからなかったが、あとから伺ったところでは、それなりにできていたようで、何かに応募するということだったようだが、最後の清書をしなかったおかげで、おじゃんになったらしい。。小学校1年生には、苦い経験だった気がする。それが逆に、悪い記憶になって、そのあとの読書感想文を書くのは、きらいになった。本を読んだとき、その中の人物と何か共有できる必要があるのだろうか。逆に、冷静にその本を解説するような、「書評」とまではいかないが、そんな方が書きやすかったような気がする。

 では、もし、清書をしていて、入選でもしていたら。。。。そんなifは、許されないかもしれないが、やっぱり、感想文は好きになってないだろう。最近、どのような書き物、それが、論文であれ、予算書であれ、マニュアルが登場しつつあるのは、よいことなのか、悪いことなのか。最初は、誰もかけないものだろう。でも、最初はやっぱり何かを書いてみようとしてみないと、かけないもののような気がする。最初に書いた英語の論文は、指導教官だった、日向先生にぼろぼろになるまで、直された。。。かなりのショックだった。自分の英語力というか。。。それをそう思わないで、運動と同じでトレーニングと割り切れば、もう少し前向きになれたのかもしれない。今でこそ、ブラインドタッチで、200-300文字/minでタイピングできるが、そこに至るまでにも、ずいぶんと練習をした。練習には、ゲーム世代ということもあり、ゲームの力を借りたような気がするが、できるようになれば、結果は同じかも知れない。スポーツで何かができるようになるのに、方法は1つでないのと同じだろう。

DSCN1650.JPG 論文も10個くらい自分で書いたり、学生さんのをなおしたりして、初めて、何かできるようになった気がする。といっても、nativeの方に英語は直してもらわないととてもでないが、見せられるものにはならない。そういう意味では、最後の体裁というか、きれいにすることは、書き物で大事になるのだろう。日向先生によく言われた言葉に、「書き物(論文)は、たくさんのひとに見てもらえば、もらうほどきれいになる」。。たしかにそうだと。。自分1人で書いていても、どうしても独りよがりになる傾向がある。。。書き物だけでなく、教育研究もより多くの人と共同する方がよいという気がしてきた。

 何かを書くときに、周りに見えるものを角度を見て考えるなど、工夫をすれば、きれいに見えることもある。これもトレーニングの成果かもしれない。何事も苦手といわずに、やってみることだろう。ただ、それにしても、読書感想文だけは、やっぱりかけないような気がする。。。。書評のような文章を書くのでもよいという宿題ではだめだろうか。。。。


 わたなべしるす


 PS. これらの書き物を体系的に教育することが、小さい時からあれば、読書感想文もかけたのかもしれない。。。今の子供たちに、出前講義の時に、聞いてみたいと思った今日この頃であった。。。

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no title

2011年11月 2日 (水)

もう1か月も前になります。

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今日が人生の最後の日だとして、
今日これからやることは本当にやりたいことか?
もし、何日ものあいだ「NO」という答えが続いたときは、
何かを変えなければならない。

Stay hungry, Stay foolish.
ハングリーであれ、バカであれ。
________________________________________________________

私はapple ユーザーでもなんでもありません。

なのにこのような記事を書くとappleユーザーに怒られそうですが。

 

ご存じかもしれませんが、上記の言葉はスティーブ・ジョブズ氏のものです。

当初は世間の反応をみていると、偉大な方がなくなったのだなと感じただけでした。

もう1か月も前のことになるのですね。

だいぶ遅れてしまいましたが、記事を書く機会を頂いたので、とりあげてみました。

また、スタンフォード大学の卒業祝賀スピーチもよかったと思います。

http://www.youtube.com/watch?v=OaMT8fZpEXA&feature=related

15分弱の動画です。お暇な時に。

 

また、よく論文検索につかうgoogle scholarにはトップページに

「巨人の肩の上に立つ」

という文字が見られると思います。

Standing on the shoulders of giantsは現代の学問は多くの研究

の蓄積の上に成り立つという意味だそうです。

(これもご存じの方は多いですね)

 

スティーブ・ジョブズ氏の死は、まさに「古きものを消し去り 新しきのもへの道をつくる」であり、「巨人の肩」なのだと思いました。

 

普段は些細なニュースだと聞き流しているところにも、偉大な人の生き方に関しての情報

が埋まっており、それを掘り下げ、自分の知識をすることでまた一つ違った価値観や知識を得られるのではと感じたことです。

長くなりましたすみません

以上です。

 

先日日本学術振興会特別研究員(DC2)の選考結果が届きました。

東日本大震災で一時はどうなるかと思いましたが、無事特別研究員に採択されました。

皆様方の多大なるご支援、ご協力を得てして、上記結果を得ることができました。

この場を借りて深く御礼申し上げます。

ありがとうございました。

 

OSCA

 

 

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