東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

研究室ダイアリー

心の問題、眠っているdata、風が吹いたら、。。。(5/9)

2011年5月 9日 (月)

 先週末、とある学会の評議員会で東北大、仙台、東北地方の東北関東大震災に伴う被害などについて、報告する機会がありました。昔と違って、mailなどがあり、それで返事が来るので、それなりに復活していると思われる方もいれば、まだ、これからという点を話すと、継続的なサポートの声を頂いたり。その中でも議論になったのですが、3/11のM9.0というのはとてもすごい搖れでした。3Fという場所でさえ、かなり揺れました。もっと高層建築の建物にいれば、もっと大きかったと思います。場所によってもかなり違います。そのときから比べれば、余震はあるものの、小さくさほどでもありません。ただ、これは、人の心の感じ方の問題です。渡辺は大きな搖れにひたすら耐えてと言うか、何もできずに立っていました。天井が落ちるなどが起きなかったおかげか、特に恐怖心は植え付けられませんでした。ので、搖れがきても、さほどという感じです。一方で、RIを使わないで、遺伝子実験をやった世代でもあることから、放射性物質の飛散には頭を抱えるというか、そちらの方が恐怖の塊でしかありません。いずれ、こうした「心の問題」で、仙台に帰ることができない学生がずいぶんたくさんいると言うことを伺っていました。本当は、そうなんだけど、それが言えないという方も多いのではと危惧しております。そんなとき、共同研究が例えば、関西方面などであれば、また、違った雰囲気で実験できるでしょうし、共同研究ベースがなくても、新しくそうした方々を受け入れてくれると言うことを学会として、とりまとめていただけると言うことを聞き、ほっとしております。頭では分かっていても、心の問題はそれとは違う反応をしますので。。。

DSCN0498.JPG そういえば、出張先で「放射線遺伝学」に造詣のある先生とお話しする機会がありました。今も農水省には、放射線育種場というのがあり、gamma線照射により、新しい品種が出ています。自家和合性に変異した、「おさ二十世紀」梨というのもあります。そうしたpositiveな面は、学生の頃の「植物育種学」で習ったのを思い出しました。ところが、この様なことが確立するまでには、放射線が生物に対してどのような影響があったのか、動物、植物を交えて様々な研究があったようです。植物でも、trickyな系を使って、低線量の放射線が与える影響というのを調べた方がいたというのを伺い、今の状況を想定していたかのようで、驚きと感動と感謝の気持ちになりました。渡辺の方でも十分に咀嚼できてない部分があるので、また、改めて、このことは記したいと思います。お時間をいただければと思います。ここで思ったことは、植物、生殖、遺伝というこの別々のことを見ても、渡辺の知らない眠っているdataがたくさんあり、それらを死蔵しないように、利活用できるようにしなければ、なんのために、それが積み上げられたのか、ということを思い知らされたような気がしました。これを機に、昔の本を探してめくってみるだけでも、考え方がずいぶんと変わるのではと思いました。

 心の問題も、古いdataも、こうした事態が起きたので、考えるようになったのかもしれない。まさに、「想定外」とも言えることと言うか、「風が吹いたら桶屋が儲かる」みたいな関連がないようなことを関連づけるしか、これからの社会全体を考えるのしかないという気がする。社会だけでなく、サイエンスもかもしれない。ありきたりのことでは、このあと大きな発展は見込めない、そんな気がしてならない。。。。


 わたなべしるす

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3/11(金)、14:46から今日まで、その10(5/3)。

2011年5月 3日 (火)

 その9を記してから、10日近くたちました。前回の記事を書いたときには、揺れない時間帯というか、時期になっていましたが、また、よく揺れるようになりました。慣れるというよりは、搖れ始めたら、研究室のテレビをつけて、地震情報を確認するのが多くなりました。地震情報のHPを見ていると、今回の地震があったところ周辺で、10-20回は1日に揺れているようです。大きい小さいはあれ。M4くらいでしかないので、研究室に被害が拡大するということは、ほとんどないのではと思います。現時点で一番大きな問題は、放射能汚染でしょう。これは、東北・東日本全体の問題というより、日本全体での深刻な問題となっています。それに伴った「風評被害」もいれると、Four disasterというしかないのかもしれません。。。。科学雑誌Scienceでは取り上げる記事が減ったような気がしますが、Natureでは、毎週何らかの記事が出ています。最近は、日本語のサイトもあるとか。

s-DSCN2687.jpg では、研究室はというと、この連休を前にして、今年度のメンバーがすべてそろいました。何よりだと思います。お互いの無事を確認でき、また、一緒に仕事を始めることがみんなそろってできたのは、本当にうれしいことです。3/11のあの時、本当にどうなるかと思ったのですが、。。。研究室には学生さんたちの声がするのが何よりです。また、そろっているメンバーの方々が、大掃除をして頂き、気分一新のlab環境ができたのも、これからの励みになりました。ありがとうございました。

 ただ、被災した実験器具が多く、この時期は、イネの作付け、アブラナの花のサンプリング、そして、アブラナの花の花粉、めしべの遺伝子型、表現型を観察が重要な時期になります。ところが、この震災で蛍光顕微鏡が墜落して、鏡筒は折れ、システムが破壊される大破でした。。。。さすがに頭を抱えていたのですが、20年近く前の学生の頃の古い蛍光顕微鏡を発見し、写真撮影はできないものの、何とか使えそうということが判明しました。何とか、この春は最低限ですが、乗り越えることができるような気がします。

 連休中にどこかに出かけることもあまりなかったですが、震災直後から比べれば、町中の人でも多くなりました。ただ、上記のような余震が続くこともあり、瓦葺きの大学創設当時の建物は、そのたびに被害が大きくなっているような気がします。そういえば、この10日間に、工学部での「科学者の卵」の会議の時に、工学部の被災現場を見せてもらうことができました。震災直後のNatureにも東北大のことが記事になって出たようですが、その記事の写真の現場を見ることができました。エレベーターは落下し、柱、梁が折れ、壁が落ち、という惨状でした。ちょうど、東北出身の国会議員の方がいらしていましたが、その方も、これは立て直しですねというようなレベルでした。それくらい大きな被害地でした。そんな中、建物の真ん中には、戦前の電波通信の基礎をつくられた「八木秀次先生」の胸像がありましたが、もちろん、被害はなく、なにをか言わんやという感じであったのが印象的でした。

DSCN0483.JPG 青葉山の被害が、片平、雨宮地区よりひどいというのは、実際に建物を見て、そう感じることができたのは、この10日間のそれぞれの地区での会議などで実感できました。これは感覚の問題かもしれないですが、渡辺が居住している片平地区がもちろん、建物が低いこともあるかもしれないですが、建物そのものには、さほどの被害はありません。中は、ぐちゃぐちゃでした。。。その理由として、片平は、江戸時代に「片平丁」と呼ばれる旧町名があり、昔からのしっかりした地盤であったのだろうと。それに対して、青葉山は、戦前には、旧日本軍(?)か何かの施設があり、亜炭坑が採掘されていたとか。完全に炭化した石炭でないことから、柔らかい、また、地中のあちこちに坑道が張り巡らされているとか。そんな山の上に建物があったのも被害が増大したのかもしれません。そう考えると、より安全な地盤に建物を建てるということの大切さを実感させられ、将来に対して、どうすればよいのかというコンセプトをもらえたような体験でした。

 この間のよいニュースは、落下した設備品や大きく降られて移動した「実験台」を交換したり、修理をするような予算が動き始めるのではということでした。これで何とか夏前までには実験をする体制が整えられ、その体制ができあがるまで、全国の大学で共同研究をしている方々から、一時的な実験引き受けを提案されているので、それで何とか、研究をさほど止めることなく、進めることができそうです。

 連休も折り返し。この連休で少しでもlabの皆さんの心身ともリフレッシュして、5/9からの新学期開始に様々な面で、よい方向に進んでくれるのではと思っております。


 わたなべしるす

 PS. 今日から出張ですが、宮城、福島ではほとんど田植えの準備もできておらず、栃木まで来ると、田植えの準備が進捗していたのは、今回の震災、福島原発放射能汚染が影響しているからだと思います。「直ちに健康に影響はない」という言葉をたくさん聞きました。震災以来。ただ、多くの放射能物質が空気中に飛散し、土壌表面、土壌中にあるのは事実だと思います。これがどれくらい土壌に残るのか、植物に吸い上げられるのか、このような異常環境になったことがないので、誰にもわからないことかもしれません。だからこそ、この時期に、植物科学を志すものとしては、水田をつくり、畑作をするということを今年こそ、しないといけないのだと。出張では、パソコンを打っていることが多いのですが、今回は、回復間もないこともあり、通常のような280km/hrの走行ではなく、徐行していることもあり、ゆっくりと風景を観察できたのも貴重でした。

DSCN1700.JPG それから、この地震を「東日本大震災」というようですが、通常、東北・仙台は北日本のような。。。その点では、「東北・関東大震災」という方が、しっくり来るというのを、改めて実感しているのでした。もちろん、命名する人にはそれなりの意味と心を込めてだと思いますが。。



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外部評価、アブラナ・ヒマワリ、歴史は繰り返す。。。。(4/24)

2011年4月24日 (日)

 新年度が始まり、この週末からはいわゆる「ゴールデンウィーク(大型連休)」が始まる。ただ、大学の入学式が5/6と言うことが関係あるのか、ないのか、どうも新年度が始まった感じがない。同じように、昨年度が終わったという感じもない。3/11の大地震があって、まだ、頭の中は中に浮いているのかも知れない。こんな脳みそ状態であるが、大地震以降、それなりの決断をして、labにとっての損益が最小になるように「危機管理」を行ってきたつもりであるが、それが良かったのかどうか、どこからか、いわゆる、「外部評価」を受けるしかない。実際、渡辺が行っているプロジェクトにおいても、多くの場合、必ず「外部評価」を受ける。あらゆる部分において、「外部評価」が適正に行われれば、「危機管理」もよりよい方向に機能するのではないかと感じる。誰か、御願いできないものだろうか。。。

 先日の新聞か、netに「セシウム」の回収に、「ヒマワリ」を植えようと。放射能汚染された土壌を改善するために。さらに、堆肥化を行い、体積を小さくして、保存というのを見つけた。「ヒマワリ」だけでなく、「アブラナ」も良いそうである。そういえば、「アブラナ」を栽培するとき、かなり肥料をやってもどんどん育ち、「肥料負け」しないという記憶がある。どんどん、窒素、リン酸、カリを含む肥料をあげていたような。。。この「カリ」つまり、「カリウム」と「セシウム」が植物栄養学というか、植物肥料学という点で、同じような挙動をするようである。つまり、できるだけ、貧栄養の状態でやるのがよいようである。「カリ」はあげないで、「窒素」、「リン酸」だけをあげる工夫をしなくてはいけないのは、最近の高度化成肥料になれている人間にとっては、不自由を感じるが、工夫をして、この「ヒマワリ・アブラナ」プロジェクトが成功し、放射能汚染された土壌が改善されることに、アブラナで役に立つのであれば、ぜひ協力したい。そういえば、5年ほど前に、とあるプロジェクトで、「イネ・アブラナ」を「戦略作物」という定義をして、この作物が重要であると提案したが、rejectされた。今日のようなことがあることを予測した説明を行い、その重要性をもっとアピールできれば、その間の実績で今回の震災に、より大きく貢献できたのではないかと痛感している。

DSCN3096.JPGのサムネール画像 こうした被害をtotalに解決するためには、やはり、人類の全知全能をかけて、解決することが重要であろう。つまり、領域融合を行い、使える科学技術を総動員する必要がある。すでに周知となっているが、「貞観地震」と言うのが、1,000年くらい前にある。それについても、東北大学の10年前くらいの学内の冊子にとある教授が書いていて、警鐘を鳴らしているらしい。つまり、歴史は繰り返すと言うことであり、領域融合は文理融合まで考える必要があるのだろう。そういう意味で、東北大学で行っている高校生教育プログラムの「科学者の卵養成講座」でそうした予測した人がいたことを紹介できなかったのは、科学者の一人として、反省すべきであろう。つまり、こうしたかつての歴史の意味であったり、昔からの言い伝えであったりするものが、その時代の科学というか、英知の全てをもって記したものであるのだろうということを伝えれなかったのは、。。。新しいことばかりに目がいきがちなことを、そうでなく、「温故知新」をすることが、いまのことをする大切なことなのであろう。そういう目で、自分の研究全体を見つめ直す良い時期なのかもしれない。


 わたなべしるす

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3/11(金)、14:46から今日まで、その9(4/23)。

2011年4月23日 (土)

 その8を記してから、10日近くたちました。一時期、よく揺れる頃がありましたが、今、比較的仙台方面は揺れなくなりました。ただ、ニュースで見たのですが、震源をプロットすると、空白域があり、それがこの近くとか。早く小さな地震でよいので、その空白を埋めてくれないかなと思う今日この頃です。

 あれから10日たち、研究室もメンバーがだいぶんそろい、日中は後片付けをしたり、花が咲いて、アブラナの実験ができる準備をしたり、イネの作付けの準備をしたりという毎日になってきました。

 ただ、こまったことは。。。。

 あれほど、急ピッチで、被害状況の調査などが行われ、研究室にも、被害の番号を示すシールが壁などにあるのですが、それが貼られてから、1ヶ月近くたつにもかかわらず、また、その間に学内の安全に関する委員会の調査もありましたが、いわゆる、「復興」ということに向けて、そうしたところの補修であったり、予算的な措置であったりすることがいまだに実施されてないのが、頭の痛いところです。もちろん、しかるべきところでは考えておられると思いますが。。。

DSCN5403.JPG どこのどのようなシステムのところが、「動脈硬化」、「血栓」のようになっているのか、よくわかりません。分かる人がいたら、ぜひ、その当たりに対して、しかるべき処置をお願いできれば、来週からそろうであろう、新しいM1の大学院生の方々を良い形でお迎えできるのではと思います。もちろん、今回の震災ではここから比べればはるかに、被害の大きいところがありますので、そこから比べれば、ずいぶんとましなのかもしれないです。テレビだったか、netだったか、「仙台のことはさておき。。。。」というようなことも拝見しました。確かに、仙台の町中は、外見上はそれなりに立っています。建物は。しかし、細かく見ると、団地の中には、赤い紙が貼ってあり、使用できないということが書かれてある地区も拝見しました。その意味では、「仙台のどこのことはさておけるのか、。。。。」。。。。

 それから、学生さん、スタッフの方々、皆さんそうだとおもいますが、なんとか復旧、復興と言うことで、研究室、自宅でがんばっておられ、かなり無理をされているのだと思います。震災という大きな心の傷を負ったにもかかわらず。そう考えたとき、休めるときには、ぜひ、無理をせず、休んでほしいと思う次第です。心はかなり無理をしているのですから、気をつけるように。休むようにと、外から支援物資を送って頂く方々の手紙などに書かれてあります。知らず知らずに、疲れているのに、がんばりすぎていないか、そうした面の方をケアーしながら、連休前の1週間を乗り切って、連休でリフレッシュして、また、新しい観点で復興をできればと思うのでした。

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 わたなべしるす

 PS. 復興に向けての遅れと言うことを記しましたが、もちろん、学外の様々なところから、支援のお知らせが届きます。先日は、国内外の遺伝子工学試薬のメーカーさんからのありがたいお知らせも。実験に使っていた、予定して冷凍庫にあった試薬のうち、特定のものですが、停電で使えなくなったものを「新品」と交換してくれるとか、他のメーカーさんでは、半額とか。支援の手が様々なところからあるというのは、うれしい限りです。

 この記事をupする直前に、nazunaにも東北大学の状況を書いてくれているのが、流れていました。いろいろなところで、仙台のことを綴っていただき、サポートいただけますように。。。

DSCN4268.JPG 今日、渡辺の高校の後輩が、東北大工学部に入学と言うことで、仙台に来られました。そんなことも、心強いというか、心和むことです。



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【出前お手伝い(ボランティア)】仙台市立木町通小学校、仙台市西花苑たんぽぽホーム・放射線計測のお手伝いと現状視察(4/21)

2011年4月22日 (金)

 先週は、福島高校に出前講義の打合せに伺い、今週の初めには、「宮城県立古川農業試験場での水稲播種」を行いました。また、最近、工学部の先生からご紹介いただき、研究室でガイガーカウンター(放射線計測器)を購入することができました。また、原発の工学的な側面、放射線の専門的な話も併せて聞くこともできました。おかげで、研究室の状況などを外からの情報(理学部・物理)以外にも、手にできたことは、ほっとできたことと、自分たちの研究環境がどうなっているのかを、実感できました。そんな折に、出前講義のつながりで、小学校、ホームから「測定依頼」を受けて、22日の午後は雨模様と言うことで、今日、伺ってきました。

 校長先生、園長先生とも、自分の学校、園がどうなっているのか、気にされておりました。もちろん、こうしたことが今までなかったと言うことと、何よりも、「放射線」という目に見えないものがあるというのが、困りものの原因のような気がしました。普段よく使われる場所などを、高さを変えて測定して、現状がこうなっている、また、文科省からの通達がこうなっているという昨日のニュースのことなどをお知らせして、これからの運営の参考にしていただきました。植物が専門であることから、本当の意味での専門的なことは、その道のプロに橋渡しをするというお約束をして。計測だけであれば、今やデジタルで見ることで分かるような機械ですので。ということで、継続支援のお約束をして、それぞれの学校、園をあとにしたのでした。

DSCN2830.JPG また、他からもご希望があれば、伺いますので。何より、安全と安心とが今のこの時期には重要ですから。小学校というような外で遊びたい時期に、それに制限がかかるというのは、何とも言えない気持ちになります。自分が小学校の頃に、野山、田畑で、無制限に遊べていたことを考えると。やりきれない気持ちでいっぱいです。そうした子どもさんたちのためにも少しでもお役に立てればと思います。


 わたなべしるす

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