東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

研究室ダイアリー

3/11(金)、14:46から、1ヶ月を迎えて(4/11)。

2011年4月11日 (月)

 今日は、あの「東北関東大震災」からちょうど1ヶ月になります。パートさんに喪章をつくっていただき、朝から喪に服していました。1ヶ月前の14:46には、館内放送があり、この震災で亡くなられた方々に対して、「黙祷」がありました(黙祷)。この1ヶ月、あっという間だったのか、ずいぶん長かったのか、時間の感覚がおかしくなっています。目の前でできることだけを、必死で片付けるので精一杯だったような気がします。やってきたことは、これまでの震災後の日記に記していますが、それが多いことなのか、もっとできたのか、悩む毎日です。。。

 研究室では、先日の金曜日のM7.4の地震の後片付けをしたり、年度初めの書類書きをしたりで、それなりに静かな、1ヶ月を迎えようとしていました。ここにも示しますが、このように本棚が崩れていたのも、

IMG_1059.JPG この様に、今は復活しました。もちろん、M7.4でいくらか崩れましたが、復活させることができました。

DSCN5375.JPG ところが、きょうの17:16に、M7.1の余震があり、今回の地震が今までと違うことは、その地震の後、船に乗って、海の上にいるような感じで揺れっぱなしです。もちろん、この震度(震度4)では、棚からなにがか落ちるようなことはなかったです。ただ、今回の地震の違うことは、震度3-4くらいの搖れが、3hrを越えた今でも揺れが止まりません。これまでの地震とは、異なる仕掛けというか、仕組みが違うのか、専門外なのでよく分かりません。また、専門の先生とお会いしたときに、お話を伺えればと思います。

 では、1ヶ月たって、研究室がどう変化したのか。本棚は先のようにきれいなりました。

IMG_1095.JPG 実験室も一見きれいにもどりましたが、実は実験台はゆがんでいたり、地震で揺れるようになったままであったり。天井に固定している天板はそのまま、本棚の固定もされていなく、かなり危ない状態です。。。

DSCN5376.JPG 1ヶ月たって、学生さんを迎えれるように、危なくないというか、ガラスがないような状態は作れましたが、それ以上になりません。何がどこでどうなっているのか、もちろん、大学よりもはるかに環境が悪いところもたくさんあります。そこも同じように、一定レベルまでは、いっているかもしれないけど、それ以上にはというような感を受けます。どこにどうしたら、何が起きるのか、現場は困っている状態です。といってもしょうがないので、できることを自分たちで、という感じです。気持ちの緊張も、1ヶ月で、渡辺だけでなく、研究室のメンバーも疲れていると思います。いつになったら、揺れが止まるのか、いつになったら、復旧が完成するのか、そして、いつになったら、福島原発が収束となるのか、なやみはつきません。心が安まらないのが事実だと思います。。。。その当たりも、ケアーしながら、これからの難局を乗り越えないと。。。

 何より、今日の地震でライフライン、交通網の復帰がさらに遅れることをないように祈るばかりです。せっかくガスが出て、それなりの生活をできるようになったのに。もちろん、大学のガスはいまだに出ません。ガス管が古くて、いつになるのか、見込みもないとか。。。頭を抱えることばかりです。。。。


 わたなべしるす


 PS. さすがに今日の集中的な搖れには、学生さんたちもこたえたようです。。。というか、普通の精神状態であればそうかもしれません。科学力を最大に使って、揺れを止めることができないかなと。。福島原発を収束させることはできないのか。。。。。渡辺の植物科学では、どうしようもないので。。。

 今日は、市内の小学校の入学式で、七北田小学校の入学式におよばれしておりましたが、また、卒業式同様に、時間がとれず、伺えませんでした。申し訳ありません。近いうちに、出前講義の打合せに伺いますので。




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科学研究費、危機管理、迅速対応・・・・ (4/10, 4/11一部改変)

2011年4月10日 (日)

 震災であろうと、天災であろうと、人災であろうと、時は無情に流れていく。その中でも研究者としての誉れであり、この震災を乗り切り、研究室を運営する研究資金であるのは、科学研究費(科研費)である。今年度は、若手研究(S)という項目の5年間の研究の4年目になります。まとめるという時期でもあります。5年のプロジェクトの多くというか、ほとんどで中間評価というのを受けます。ちょうど、3年目が終わろうとした時期の、3月の終わりに。。。そうした中間報告が来るであろうと言うことは伺っていて、いつなのかと思っていたとき、3/11(金)を向かえてしまい、何の対策もできてなかったのでした。仙台での日本植物生理学会の開催など、様々な案件があり、その対策は不十分などころか、震災で頭の中からぬけていました。心に余裕があれば、昨年度の形式をdownloadして、対策くらいと思うのでしたが。。それを忘れさせるような「大震災」でした。。。。

DSCN4651.JPG そんな報告書に対して、サポートいただけるのは、研究を支えてくださる一連の研究チームでした。そうした危機管理が不十分な中で、サポートいただける、チームの皆さんに本当に感謝をと思う、今日この頃です。チームの1つ1つのピースが相互に連携して、サポートしあっていただいていることが、本当にこの研究を良いものにして、良い研究体制が構築できているのだなと、実感しました。また、チームメンバーの「迅速対応」という点も、感動ものでした。数日前の最大規模の余震の翌日でも、午前で片付けをして、午後一番で掃除をして、すぐにそれなりのことができる体制が構築できたのである。

 危機管理、迅速対応という点では、この1ヶ月の新聞記事で、驚くような記事があった。とある企業であったような気がするが、震災があったあと、30minでどの部署で何がどうなっていてどこにどんな対応をすることが重要で、それを粛々と進めたというのを見つけて驚いた。うちの研究室では、こうはいかないが、少しでも近づけたい。ただ、こうした迅速対応というのは、先の科学研究費でも同様に対応が求められている。つまり、実験、研究ではうまくいかないということがよくある。そうしたとき、どうやって乗り越えるのか、自分の研究室だけで対応できるのか、コラボでどこかの研究室との対応なのか、あるいは、どこかにアウトソースするのか。そうした決断は、植物というどうしてもその生長に依存して、また、花という、生長の中でも最後のステージまで行かないと、何もできない領域を研究しているものとして、いろいろと考えさせられる、「大震災」でした。


 わたなべしるす

 PS. 震災から、あと少しで1ヶ月、。未だ、福島原発がどこに行くのか、不透明です。。。。RI世代でなく、no-RIで実験をした世代と言うこともあって、。。週明けには、SSH, 科学者の卵でお世話になっている、福島高校に伺う予定です。結果については、またお知らせします。。。。。


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3/11(金)、14:46から今日まで、その7(4/8、一部追加あり4/8, 10)。

2011年4月 8日 (金)

 その6を記してから、学生さん、スタッフもそろいはじめ、研究室復興に向けての活動をしたり、学生さん、アルバイトの方々から、いつ頃仙台に来るというような状況でした。。。それに向かって、電気・ガス・水道というライフラインなども整備され、研究室ではガスを残すばかりでした。さらに、交通網も整備されはじめ、新幹線、地下鉄も月末に、空港は来週からというような話をしていたところでした。もちろん、いくらかの余震はありましたが、それで落下物があるなどのことはありませんでした。

DSCN0468.JPG ところが、その平穏をぶちこわすような、M7.4, 震度6弱の地震が、4/7, 23:32にありました。今回は夜中と言うことで、スタッフ、学生さんとも自宅で、急ぎ、labに出かけたところ、本棚の落下、大型機器類の移動、過電流に伴うと考えられる機器の破損などありました。自宅にいましたが、波に揺られているというか、四国、今治から、船で本州に渡るときの天候が悪いときの大きな搖れのようでした。もっと大きいかもしれません。たぶん。ただ、前回より、はるかに短く、搖れも小さかったので、上記のような被害で収まっています。ただ、まさか、改めてこの様な地震が来て、こうしたことを知ることになるとは。。びっくりです。。。

 このHPをuploadしたのは、その巨大な地震から、24hrも立たない、ちょうど、震災から、28日、4週間を迎えたところで、多くの犠牲者に黙祷をして(黙祷)、少しでも通常業務をと思っていた矢先でした。。。。まさに、なんとかは、忘れた頃にやってくると言うことを痛感した、余震でした。。(もちろん、28日前の大地震もそんな感じでした。)。何が起きるか分からないことを想定して、いろいろなことを考えておくべきでした。最近の搖れで、小さかった油断がこうしたことをもたらしたと。。。。

 ただ、真夜中でしたが、寝る前でしたので、labに来てみたら、「危機を告げる警報」が鳴っていて、なんとかそれを留めて、問題の回避ができました。この点では、「初期対応」の重要性は改めて認識しました。28日前の大地震が多少は参考になったのかもしれません。また、安否確認をくれた方々も。labの。なによりでした。こうした危機管理マニュアルのようなものがすこしずつできていくことが、次につながると。。。。落ち着いたら、各人の避難用に、ヘルメット、長期保存水、乾パンなどの確保と保存が重要であると言うことで、きょうの掃除が終わりました。せめて、もう少しゆっくりできる環境がほしいものだと思いましたが、ともいっていってはいられないので、気合いと根性で乗り切るしかないかと。今しばらく。。。そんな震災から、28日がたつ直前の余震でした。。。。

 わたなべしるす


 PS. 何を持って被災地と規定するのかは、今回の大震災ではあまりに大きすぎました。。。仙台市をとっても、海岸から山の方まで表現型は様々です。被災の大小はあれ、心に大きな傷ができているのは、仙台の町中にいる、この研究室のメンバーも同じです。また、いつも出かけている出前講義を行っている小学校、高校などの児童、生徒さんたちも。そうした方々にお会いして、また、いつも出前講義をしていくことが、これまでやってきた社会貢献を継続し、研究者にもできるボランティアなのかもしれないと。。。そんな議論をして頂けた理学部、工学部の先生がいらっしゃいました。ありがとうございました。

 公開したあとに、これまで出前講義で伺っていた高校の先生から、23年度のSSH(Super Science High school)採択のお知らせを頂きました。またこれからも伺えるかと思うと、昨日の地震からのうれしいお知らせでした。ありがとうございました。また、お世話になります。

 今回の地震では、上記のような過電流があった原因が少し分かったような気がします。今日に至っても、東北地方では大停電だとか(テレビをあとで見返したら、仙台の北部で、青い閃光が見えました。)。と言うか、研究室に行くまでの間でも、パッチ状に停電したところがあり、信号機も消えている状態でした。そんな中で、研究室、自宅とも停電しなかったのは、本当に偶然なのだと。何が起きるか分からないのが災害ですが、そうしたことを超えて、対策を考えておかないといけないと。。

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3/11(金)、14:46から今日まで、その6(4/2)。

2011年4月 2日 (土)

 3/26に、その5を記してから、1週間がたちました。以前から比べれば、ずいぶんと仙台市内の環境も整いつつあるのかもしれません。あらたに研究室には、仙台から近い場所にある、須藤くん、藤岡くんが新しく顔を出してくれました。宇都宮、盛岡方面の情報も入り、そちらの方でもかなり生活事情は改善しつつあるものの、3/11以前からはほど遠いようです。他の研究室メンバーからは、mailで連絡を頂いたり、mailでのやりとりで仕事をお願いしたり。ほっとしたり、助かったり。やっぱり、研究室にいろいろな方々いることが大切なのだと言うことを、改めて実感しました。

 仙台市内だけですが、それも自転車で行ける範囲に限れば、物流は少しずつよくなりつつあります。ただ、いつもであれば、何でもあるコンビニ。24hrいつでもというのが、ありましたが、昼頃にあいて、夜中前には閉まるというパターンです。それでも、ほとんどあいていなかった、先週から比べれば、場所と時間にもよりますが、以前のコンビニにあった様なパンとおにぎりを買うことができました。あまりのうれしさに、明日の朝ご飯と言うことで、getした次第です。食糧がこれほどうれしいことと思うのは、やはり、こういう危機的な状況に置かれたからだと思います。コンビニには普通にあると思われる週刊誌などの雑誌は、ほとんどない状況です。新聞はそれなりに入ってきつつあるようです。

DSCN5372.JPG 研究室の方は、これからが春の花のシーズンであり、イネの作付けを考えなくてはいけないシーズンです。どうすれば、これを達成できるのか、そうしたことに頭を悩ませ、研究室に顔を出している学生さんとは、どこに出張して、震災から復帰をするための実験をやるのかという話をできるようになりました。できるだけ、研究も前を向いて、上を向いて歩けるようになりたいと思います。

 1週間がたち、福島原発が良い方向に大きく、あるいは少しでも良い方向に改善されているかと思いましたが、仙台での放射線量は少しずつ減りつつありますが、環境への汚染が広がりつつあるのは、農学を学んだものとして、何とも言えず、悲しい思いです。生物濃縮が陸、海で広がることを考えると、未来に亘って不安を残すことになるような気がしてなりいません。。。世界中の全知全能を使って、この状況を画期的に改善することはできないものか、日々、思うのでした。

 今週、出前講義でお世話になっている先生方から、連絡を頂き、近くの先生とはお互いに心配し、特に、福島原発から、半径20-30kmにいらっしゃる先生のことはずいぶんと心配しておりました。福島県の浜通りは想像を超える事態になっていることを直接伺えました。また、HPに食糧不足と言うことを見た方からは、支援のmailも頂きました。ありがとうございました。日にち薬ではないですが、卵、肉類など、戦後すぐであったり、国内自給だけであれば、卵などはほとんど食べれないというような状況からは脱しつつあります。様々な交通路が良くなり、物流が改善されているからだと思います。


 わたなべしるす

 PS. オープンラボの予定がどのように変更されるのか、以前は、4/23とお知らせしましたが、現時点の交通事情などからは、無理と思っております。この予定変更についても、来週にはお知らせできるのではないかと思います。

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2011年度を迎えるにあたって。。(4/1)

2011年4月 1日 (金)

 このHPが公開され、数時間たつと、未曾有の東北関東大震災から、ちょうど3週間になります。まずは、この震災でなくなられた多くの方々を追悼して、黙祷したいと思います(黙祷)。あれから、3週間もたつのかというのと、これからどうなるのだろうかというめどが何か立ったかというと。。。。と、言わざるを得ない。時は流れており、今日から、新しい年度、2011年度が始まります。ある方が、「今日はエープリルフール、これが夢であってほしいと。。」。まさに、そんな4/1を迎えたのは、45年で初めてだと思います。

 新しい学生さんを迎えるのは、今の状況では今月末近くになります。そのときに、今の様々な環境がどれだけ好転しているのか、何とも不透明で仕方ありません。震災の復興、福島原発・放射線問題等々。しかしながら、非情にも時間は流れていきます。これを絶対に達成するというような年度目標をあげることができないような不透明な状況ですが、その苦難を研究室のスタッフ、学生さんたちと乗り越え、10年たったとき、あのとき、この決断をして、この教育研究をして良かったと、歴史に評価いただけるよう、努力したいと思います。


 わたなべしるす

 PS. 震災後、どのようなことが起きたかを綴ってきたHPの記事を、出前講義を行った高校の先生が取り上げていただき、特別授業で、今の震災の現地を学ぶと言うことに使っていただいたという連絡と、生徒さんたちの心温まる手紙を頂きました。ありがとうございました。今の状況を落ち着け、そうした生徒さんたちとお会いできればと思います。ありがとうございました。

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