東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

研究室ダイアリー

学位記授与

2011年4月14日 (木)

増子@花粉症格闘中、です。

一昨日あたりから仙台でも桜が咲きだしました。

それとともに気温も上がり、だいぶ過ごしやすくなってきました。

桜が咲くと、スギ花粉症の季節も終盤戦。少しほっとします。

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本日、学位記が授与されたとのことです。

藤岡くん、大坂くん、須藤くん、本当におめでとう!

今年は卒業式が取りやめになったり、さまざまな事がありました。

嬉しさもひとしおではないでしょうか。

しかし何もかもイレギュラーな中、フル回転でご対応下さる教務の皆様の御苦労、如何ばかりかと思います。

本当にお疲れ様です。

 

いつもなら花見の学生でにぎわう片平キャンパスも人が少なく、さみしい印象です。

早く元のにぎわいが戻ると良いなあ、と思いつつ、お弁当を頬張る昼さがりでした。

 

増子

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3/11(金)、14:46から今日まで、その8(4/14)。

2011年4月14日 (木)

 その7を記してから、M7規模の余震があったりしましたが、1つだけ良いことがありました。地震関係で。緊急地震速報というのがあります。今では、携帯でもお知らせがあるとか。もちろん、大学というか、研究科でもそうしたサービスがありますが、何故か、最初の3/11の大地震4/11の夕方の地震でも、結構揺れましたが、というか、大きな地震でしたが、警報がありませんでした。ところが。。。きょうの地震では2回警報がありましたが、そのうち1回は、20秒前から、カウントダウンが始まり、机の下に隠れたり、テレビをつけて、周りがどうかなど、判断する時間がありました。こうしたことが現時点では、多少、空振りがあっても、機能してくれることは、毎日の心の支えになります。迅速に対応頂いた、生命科学研究科の事務の方々に感謝します。

 あと、今回の震災で結構ひどいのが、床の汚れ。化学系のような危ない薬品はありませんが、細胞を染色したり、DNAを調製したりするような薬品はあります。また、超純水のようなものも。3/11の地震の時、こうしたものが床にこぼれて、本、ノート、箱の紙類に水分として吸われ、床のシートの上に文字を残すような結果に。。。もちろん、本、箱の模様が写るわけです。。。。これが結構、消えないのです。4ヶ月ほど前に大掃除をしたときには、ワックスまでかけてきれいでした。というか、大地震の前まではきれいでした。それらをどうやれば、きれいになるのか。前回も書きましたが、全体は、それなりの見てくれになりましたが、細かなところは、まだまだ、砂埃が残っていたり。これは、植物を育てる関係でのものですが。

 種子貯蔵庫にぶちまけられていたシリカゲルのたぐいも、学生さん、アルバイトさんたちが、かなりきれいに片付けてくれました。寒い低温室の中での作業に感謝します。ありがとうございました。低温と言えば、研究室も暖房がありませんが、朝の寒さをのぞけば、なんとか普通の格好で過ごせるくらいまで、気温が上がってきたのは、何かを考えたり、やろうかと思えるレベルになったことだと思います。

 こうした作業のあとの乾杯は、やっぱり、レアものの「飲むヨーグルト」です。これも災害救援物資として頂いたものです。ありがとうございました。五臓六腑にしみこむとはこういうものだと。。。

DSCN5397.JPG これらの涙ぐましい活動をぶちこわしてくれたのは、余震と「INESレベル7」への格上げというニュースが昨日流れ、頭を抱えました。何かというと、福島原発の事故の規模というか。もちろん、理学部の方の計測dataがあり、それを見る限りは、平常値の2-2.5倍程度ですが、「5」が「7」というのは、精神的プレッシャーがありますね。どこかのHPでよんだのかもしれないですが、「目に見えない」と言うことが、気になるひとと、きにならない人がいるとか。確かにお化けは怖いですね。いまでも。。。。そんなことはさておき、このように、人間にも様々な影響するわけですが、植物にも影響が出るのかもしれません。植物が放射線を怖いと思っているかどうかを計るすべはありません。。。。。自家不和合性の表現型に即、影響が出てくるか分かりませんが、何らかの形で評価しておく必要はあると思いました。そのためにも、ガイガーカウンターか、それに類するもので、環境測定をしてみて、表現型をということになると思います。

 ここまでがんばれば、終わりというのがはっきりしていれば、自分自身と周りのスタッフ、学生さん、アルバイトの方々を、encourageできるわけですが。。どうにも先が見えてこないのが、何とかならないのか。。。。最近のコマーシャルでよく流れる、「日本人なら、がんばれる」というの文句を拝借して、「日本の科学力なら、これをなんとかできる」と思いたい毎日です。。。もちろん、研究室で行っている植物科学が出番になれば、最大限の協力を惜しみません。

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 わたなべしるす

 PS. もちろん、良い社会現象も。滑走路まで津波がきた仙台空港。今日から使えるようになりました。新幹線、飛行機が少しずつですが、つながりつつあります。もちろんかなり、限定的ですが。。。

 様々なメーカーさんがいらして、機器の点検をして頂けるのは、うれしい限りです。つないだ瞬間、ぼーーん!!!というのでは、怖かったのが、ほっとできます。これも精神衛生上良いことです。ありがとうございました。


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3/11(金)、14:46から、1ヶ月を迎えて(4/11)。

2011年4月11日 (月)

 今日は、あの「東北関東大震災」からちょうど1ヶ月になります。パートさんに喪章をつくっていただき、朝から喪に服していました。1ヶ月前の14:46には、館内放送があり、この震災で亡くなられた方々に対して、「黙祷」がありました(黙祷)。この1ヶ月、あっという間だったのか、ずいぶん長かったのか、時間の感覚がおかしくなっています。目の前でできることだけを、必死で片付けるので精一杯だったような気がします。やってきたことは、これまでの震災後の日記に記していますが、それが多いことなのか、もっとできたのか、悩む毎日です。。。

 研究室では、先日の金曜日のM7.4の地震の後片付けをしたり、年度初めの書類書きをしたりで、それなりに静かな、1ヶ月を迎えようとしていました。ここにも示しますが、このように本棚が崩れていたのも、

IMG_1059.JPG この様に、今は復活しました。もちろん、M7.4でいくらか崩れましたが、復活させることができました。

DSCN5375.JPG ところが、きょうの17:16に、M7.1の余震があり、今回の地震が今までと違うことは、その地震の後、船に乗って、海の上にいるような感じで揺れっぱなしです。もちろん、この震度(震度4)では、棚からなにがか落ちるようなことはなかったです。ただ、今回の地震の違うことは、震度3-4くらいの搖れが、3hrを越えた今でも揺れが止まりません。これまでの地震とは、異なる仕掛けというか、仕組みが違うのか、専門外なのでよく分かりません。また、専門の先生とお会いしたときに、お話を伺えればと思います。

 では、1ヶ月たって、研究室がどう変化したのか。本棚は先のようにきれいなりました。

IMG_1095.JPG 実験室も一見きれいにもどりましたが、実は実験台はゆがんでいたり、地震で揺れるようになったままであったり。天井に固定している天板はそのまま、本棚の固定もされていなく、かなり危ない状態です。。。

DSCN5376.JPG 1ヶ月たって、学生さんを迎えれるように、危なくないというか、ガラスがないような状態は作れましたが、それ以上になりません。何がどこでどうなっているのか、もちろん、大学よりもはるかに環境が悪いところもたくさんあります。そこも同じように、一定レベルまでは、いっているかもしれないけど、それ以上にはというような感を受けます。どこにどうしたら、何が起きるのか、現場は困っている状態です。といってもしょうがないので、できることを自分たちで、という感じです。気持ちの緊張も、1ヶ月で、渡辺だけでなく、研究室のメンバーも疲れていると思います。いつになったら、揺れが止まるのか、いつになったら、復旧が完成するのか、そして、いつになったら、福島原発が収束となるのか、なやみはつきません。心が安まらないのが事実だと思います。。。。その当たりも、ケアーしながら、これからの難局を乗り越えないと。。。

 何より、今日の地震でライフライン、交通網の復帰がさらに遅れることをないように祈るばかりです。せっかくガスが出て、それなりの生活をできるようになったのに。もちろん、大学のガスはいまだに出ません。ガス管が古くて、いつになるのか、見込みもないとか。。。頭を抱えることばかりです。。。。


 わたなべしるす


 PS. さすがに今日の集中的な搖れには、学生さんたちもこたえたようです。。。というか、普通の精神状態であればそうかもしれません。科学力を最大に使って、揺れを止めることができないかなと。。福島原発を収束させることはできないのか。。。。。渡辺の植物科学では、どうしようもないので。。。

 今日は、市内の小学校の入学式で、七北田小学校の入学式におよばれしておりましたが、また、卒業式同様に、時間がとれず、伺えませんでした。申し訳ありません。近いうちに、出前講義の打合せに伺いますので。




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科学研究費、危機管理、迅速対応・・・・ (4/10, 4/11一部改変)

2011年4月10日 (日)

 震災であろうと、天災であろうと、人災であろうと、時は無情に流れていく。その中でも研究者としての誉れであり、この震災を乗り切り、研究室を運営する研究資金であるのは、科学研究費(科研費)である。今年度は、若手研究(S)という項目の5年間の研究の4年目になります。まとめるという時期でもあります。5年のプロジェクトの多くというか、ほとんどで中間評価というのを受けます。ちょうど、3年目が終わろうとした時期の、3月の終わりに。。。そうした中間報告が来るであろうと言うことは伺っていて、いつなのかと思っていたとき、3/11(金)を向かえてしまい、何の対策もできてなかったのでした。仙台での日本植物生理学会の開催など、様々な案件があり、その対策は不十分などころか、震災で頭の中からぬけていました。心に余裕があれば、昨年度の形式をdownloadして、対策くらいと思うのでしたが。。それを忘れさせるような「大震災」でした。。。。

DSCN4651.JPG そんな報告書に対して、サポートいただけるのは、研究を支えてくださる一連の研究チームでした。そうした危機管理が不十分な中で、サポートいただける、チームの皆さんに本当に感謝をと思う、今日この頃です。チームの1つ1つのピースが相互に連携して、サポートしあっていただいていることが、本当にこの研究を良いものにして、良い研究体制が構築できているのだなと、実感しました。また、チームメンバーの「迅速対応」という点も、感動ものでした。数日前の最大規模の余震の翌日でも、午前で片付けをして、午後一番で掃除をして、すぐにそれなりのことができる体制が構築できたのである。

 危機管理、迅速対応という点では、この1ヶ月の新聞記事で、驚くような記事があった。とある企業であったような気がするが、震災があったあと、30minでどの部署で何がどうなっていてどこにどんな対応をすることが重要で、それを粛々と進めたというのを見つけて驚いた。うちの研究室では、こうはいかないが、少しでも近づけたい。ただ、こうした迅速対応というのは、先の科学研究費でも同様に対応が求められている。つまり、実験、研究ではうまくいかないということがよくある。そうしたとき、どうやって乗り越えるのか、自分の研究室だけで対応できるのか、コラボでどこかの研究室との対応なのか、あるいは、どこかにアウトソースするのか。そうした決断は、植物というどうしてもその生長に依存して、また、花という、生長の中でも最後のステージまで行かないと、何もできない領域を研究しているものとして、いろいろと考えさせられる、「大震災」でした。


 わたなべしるす

 PS. 震災から、あと少しで1ヶ月、。未だ、福島原発がどこに行くのか、不透明です。。。。RI世代でなく、no-RIで実験をした世代と言うこともあって、。。週明けには、SSH, 科学者の卵でお世話になっている、福島高校に伺う予定です。結果については、またお知らせします。。。。。


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3/11(金)、14:46から今日まで、その7(4/8、一部追加あり4/8, 10)。

2011年4月 8日 (金)

 その6を記してから、学生さん、スタッフもそろいはじめ、研究室復興に向けての活動をしたり、学生さん、アルバイトの方々から、いつ頃仙台に来るというような状況でした。。。それに向かって、電気・ガス・水道というライフラインなども整備され、研究室ではガスを残すばかりでした。さらに、交通網も整備されはじめ、新幹線、地下鉄も月末に、空港は来週からというような話をしていたところでした。もちろん、いくらかの余震はありましたが、それで落下物があるなどのことはありませんでした。

DSCN0468.JPG ところが、その平穏をぶちこわすような、M7.4, 震度6弱の地震が、4/7, 23:32にありました。今回は夜中と言うことで、スタッフ、学生さんとも自宅で、急ぎ、labに出かけたところ、本棚の落下、大型機器類の移動、過電流に伴うと考えられる機器の破損などありました。自宅にいましたが、波に揺られているというか、四国、今治から、船で本州に渡るときの天候が悪いときの大きな搖れのようでした。もっと大きいかもしれません。たぶん。ただ、前回より、はるかに短く、搖れも小さかったので、上記のような被害で収まっています。ただ、まさか、改めてこの様な地震が来て、こうしたことを知ることになるとは。。びっくりです。。。

 このHPをuploadしたのは、その巨大な地震から、24hrも立たない、ちょうど、震災から、28日、4週間を迎えたところで、多くの犠牲者に黙祷をして(黙祷)、少しでも通常業務をと思っていた矢先でした。。。。まさに、なんとかは、忘れた頃にやってくると言うことを痛感した、余震でした。。(もちろん、28日前の大地震もそんな感じでした。)。何が起きるか分からないことを想定して、いろいろなことを考えておくべきでした。最近の搖れで、小さかった油断がこうしたことをもたらしたと。。。。

 ただ、真夜中でしたが、寝る前でしたので、labに来てみたら、「危機を告げる警報」が鳴っていて、なんとかそれを留めて、問題の回避ができました。この点では、「初期対応」の重要性は改めて認識しました。28日前の大地震が多少は参考になったのかもしれません。また、安否確認をくれた方々も。labの。なによりでした。こうした危機管理マニュアルのようなものがすこしずつできていくことが、次につながると。。。。落ち着いたら、各人の避難用に、ヘルメット、長期保存水、乾パンなどの確保と保存が重要であると言うことで、きょうの掃除が終わりました。せめて、もう少しゆっくりできる環境がほしいものだと思いましたが、ともいっていってはいられないので、気合いと根性で乗り切るしかないかと。今しばらく。。。そんな震災から、28日がたつ直前の余震でした。。。。

 わたなべしるす


 PS. 何を持って被災地と規定するのかは、今回の大震災ではあまりに大きすぎました。。。仙台市をとっても、海岸から山の方まで表現型は様々です。被災の大小はあれ、心に大きな傷ができているのは、仙台の町中にいる、この研究室のメンバーも同じです。また、いつも出かけている出前講義を行っている小学校、高校などの児童、生徒さんたちも。そうした方々にお会いして、また、いつも出前講義をしていくことが、これまでやってきた社会貢献を継続し、研究者にもできるボランティアなのかもしれないと。。。そんな議論をして頂けた理学部、工学部の先生がいらっしゃいました。ありがとうございました。

 公開したあとに、これまで出前講義で伺っていた高校の先生から、23年度のSSH(Super Science High school)採択のお知らせを頂きました。またこれからも伺えるかと思うと、昨日の地震からのうれしいお知らせでした。ありがとうございました。また、お世話になります。

 今回の地震では、上記のような過電流があった原因が少し分かったような気がします。今日に至っても、東北地方では大停電だとか(テレビをあとで見返したら、仙台の北部で、青い閃光が見えました。)。と言うか、研究室に行くまでの間でも、パッチ状に停電したところがあり、信号機も消えている状態でした。そんな中で、研究室、自宅とも停電しなかったのは、本当に偶然なのだと。何が起きるか分からないのが災害ですが、そうしたことを超えて、対策を考えておかないといけないと。。

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