東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

研究室ダイアリー

【出前お手伝い】宮城県立古川農業試験場での田植えのお手伝い

2011年5月26日 (木)

前回の籾まきのお手伝いに引き続き、宮城県立古川農業試験場に5/24・5/25の2日間、田植えのお手伝いに行ってきました。

今回、渡辺先生は参加できませんでしたが、1日目はPD・坂園、藤岡、M1・古武城、前田、山村の5名、2日目はD1・大坂、須藤、技術補佐員・増子(鈴木)を加えた8名でお手伝いをさせて頂きました。

両日とも天気に恵まれ、絶好の田植え日和でした。

試験場の方々に我々も交ぜて頂き、作業させて頂きました。

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職員の皆さんのご指導のもと、一列一列丁寧に手植えしていきます。

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土の感触や温んだ水の感触が心地よく、次々と作業を進めていきます。

最初こそ会話をする余裕がありましたが。。。

中腰の姿勢と足元の重い泥が、確実に我々の体力を奪います。。。

しかし、田植えの合間にお菓子や冷たいお茶までご馳走になり、リフレッシュすることが出来ました。

お心遣い、本当にありがとうございます!

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圃場から圃場へ、徒歩や自転車等々で移動し、次々と植えていきます。

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腰を伸ばしながら、ふと目線を上げると。。。

一面に田植えが済んだ水田が広がっていました。壮観です!

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今回はお手伝いという形でしたが、普段はなかなか圃場作業が出来ない我々にとっても貴重な経験になりました。

指導下さった古川農業試験場の永野部長をはじめ、明るくお話下さった技師・職員の皆様、本当にありがとうございました。

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増子(鈴木)

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3/11(金)、14:46から今日まで、その12(5/25)。

2011年5月25日 (水)

 前回のその11を記してから、10日あまりすぎました。ずいぶんと初夏のような天気になり、仙台も暑くなってきました。先日来客があり、時間の関係で空港までご一緒しました。議論の時間が足りず。その折りに、道沿いに沿岸部というか、広瀬川、名取側の河口付近を見ることがありました。今頃であれば、田植えのあとの小さなイネの苗があるのが、何もなく、今まで海を垣間見ることもなかったのが、みえたり。。。さらに、まだ、がれきが残っているところがたくさんあったのを見たのは、目を覆いたくなりました。空港の近くでは、まだ、電気もきておらず、交通整理が行われていました。そういえば、空港の運行は自家発電とか。まだ、まだ、復旧とは言えない場所が、身の回りにたくさんあることを実感しました。津波で流されたがれき、車が山のようになっているのを見て、一体全体、これだけの破壊力のある津波というのをエネルギーに換算したら、どれくらいになるのか、物理学が分かる方から、お話を聞きたいと思ったりもしました。

 そんな中で驚いたのは、ササなどが塩害で枯れているにもかかわらず、アブラナとおぼしき黄色い花は満開でした。以前に書いたアブラナの高い能力は、こうした点でも優れているのだと実感できました。よりよい方向に使えればと思いました。

 そういえば、数日前にいわゆる一次補正の予算措置の通知がありました。なんと、。。。。。。ゼロ査定。?????と、いくつついたか分からないくらいでした。いろいろと理由を調査したら、調査依頼から、24hrで仕上げなくてはいけなかった、「調査書」に、1点不備があったからとか。項目は、被害状況。写真を撮るように言われて、写真を添付したので、記述しないでよいと思ったのか、必須と書いてなかったので書かなかったのか、記憶がありません。また、余裕を持って出しましたが、不足があるので埋めるようにともなかったのは、残念でした。いわゆる、震災の超法規的措置のようなものですから、こうしたことに対して、杓子定規での対応が、。。。。沿岸部で、全損、一部損、等を航空写真で決めたという点からすると、かなり、書類主義というか。。。まじに、涙が出そうでした。そういうルールであれば、そういうルールでやるしかないのが、どんなものにもあるのだと。つまり、どんなに緊急性の高いものでも、被害がひどくても、冷静に書類を作らなくてはいけない。そうでないと、補填されるものも、されないと言うことだと。。。。このあと、こうした被害に遭うことがあわれる方、ぜひ、ご記憶にとどめていただければと思います。誰が悪いというように、子供の喧嘩をするのは簡単ですが、そうでなくて、ここまで極端になると、ある種のあきらめというか、。。。。。のレベルでした。いずれ、これを読んでいただいているみなさまの参考になれば、渡辺の膨大な被害額が、軽減されると思います。せっかくですので、どんなにひどかったかを、お見せしておきます。これでもゼロ査定だと言うことで。しばらく、涙に暮れた、ここ数日でした。。。ただ、そこで、とある方からの暖かいお言葉が。「二次補正もありますから。。。。。」。。。まさに、天の助けの言葉でした。ありがとうございました。

DSCN5339.JPG大きく傾いたシロイヌナズナ等の栽培だな。。。。。


DSCN5341.JPGDNA抽出用の多検体対応、植物破砕機、転倒して180oひっくり返る。


DSCN5351.JPG等電点電気泳動をはじめとるする様々な電気泳動装置。。。。。泳動装置の墓場のよう。。。数が多すぎ単純な見積もりできないが、500万以上か。。。。。。。。


IMG_1114.JPG蛍光顕微鏡、簡易切片作成装置が転落、鏡筒が折れて、使い物にならない。。。500万以上。。


IMG_1115.JPG自動in situ hybridizationの機械も、180oひっくり返る。その後、元に戻してみたが、ふたも開かない。。。300万。。。

 唯一の救いは、運営をお手伝いしている科学者の卵のHP今年の募集が始まり、あちこちから、説明会にきてほしいと。ありがたいお話しです。より多くの未来ある受講生に話ができるのが、楽しみです。


 わたなべしるす


 PS. 渡辺は参加できませんでしたが、古川農試の田植えのお手伝いに、籾まきに続いて、研究室方々がいってくれたのは、研究室力のようなものをお見せできたように思います。研究室のみなさまのご協力にこの場を借りて感謝したいと。ありがとうございました。

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もったいない。。。。(5/21)

2011年5月21日 (土)

 3/11の大震災以来、いろいろなことが変わっている。節電、節電などがそうかもしれない。テレビを見ていると、冷蔵庫の中は、きれいにしましょう。というか、冷気を多く保つために、余裕を持ってと言うことだろうと。

 渡辺自身、小学校の時には周りが田んぼと畑の通学路を毎日往復、4kmを歩いていました。典型的な田舎です。そんな昭和40年代ですから、また田舎ですから、ご飯を残すのはもったいないと。。お百姓さんに申し訳ないとか。。。。そんな風に育てられたというか、そんな環境でしたので、少々、賞味期限が切れても。という感じです。

DSCN3147.JPG 冷凍庫をふとあけると、ケーキが。。。。あれ・・・・・。いつのだろうと、自分自身でも分からなくなっていましたが、学生さんたちに聞いてみたところ、以前に研究室で、実験補助をしていただいていた、今高さんの送別会をしたときのだろうと。。。。震災を挟んでいなければ、ずっと冷凍保存ですが。。そういえば、停電が。。一度、解凍されたことに気がつきましたが、解凍されたときには、十分寒い日でしたし。誰かがあけたわけではないと言うことで。誰かのためにとってあったのだと思いましたが、頂きました。ごちそうさまでした。頂いてから、34hr近くたちますが、特に症状が出ることもなく。このケーキを闇に葬るのは、もったいないと。。

 で、ついつい、いろいろなものをもったいないと、とっていると収拾がつかなくなるのも事実。そんなときのためではないでしょうが、師匠の日向先生が、この様な言葉を。「育種屋さんは、捨てるのが仕事だと。。。」品種改良をするために、世代を進めていくと、必然的に系統、種子の数は増えるわけです。いつまでもとっておくと、収拾がつかない。だから、捨てるのが大事と。なるほど。。もちろん、遺伝資源は、重要ですが。。


 わたなべしるす


 PS. 以前にも書いた記憶がありますが、昨年、出前講義に伺った、香川県立観音寺第一高等学校がSSHに採択され、そこの運営指導委員を仰せつかりました。同様に、2005年3月まで住んでいた盛岡市内の岩手県立盛岡第三高等学校もSSHに採択され、そこの運営指導委員を仰せつかりました。ありがたいお話しです。両校の活動がより、活発になるようにサポートできればと思いますし、出前講義等に伺えればと思います。

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3/11(金)、14:46から今日まで、その11(5/14)。

2011年5月14日 (土)

 前回のその10を記してから、10日あまりすぎ、3日前、3/11の大地震から、2ヶ月となった。慌ただしさに、14:46にlabでの黙祷を失念していた。亡くなられた方々に申し訳なく思い、また、理不尽に放置された作物、家畜のことを思い、深夜になってから黙祷した。仙台の町中は、それなりの人並みとなり、道路、空路、鉄路とも、完全復旧ではないため、時間的制限があるが、復旧しつつある。連休中には、たくさんのボランティアの方々もいらしていて、出張で仙台駅を通ると、スコップを持った方達とすれ違うこともあった。何ともうれしい限りであった。

DSCN0384.JPG 大学ももちろん、3/11からみれば、ずいぶんと改善されたところもあれば、そのままのところも残されている。以前にも記したが、震災後すぐの国際科学雑誌Natureにも、東北大がでたことがあり、毎週のように、地震、福島原発が取り上げられていたが、今週のNatureにはなかったような。落ち着いたのかと思っていたが、3/12のニュースでは「メルトダウン」とか。。。まだまだ時間がかかりそうであり、放射能アレルギーのものにとっては、しばらく神経戦が続きそうである。。。。

 大地震が起きたことは仕方ないとしても、それに連動したことで起きた様々な事象について、どこまでを当事者が考えるのだろうか、また、自己責任なのだろうか。地震で起きた本棚の復旧は、自分たち、あるいはボランティアで可能かも知れない。では、もっと高次元のこと。研究室のある建物等、当事者ではどうしようもないこともある。先の放置された農作物は逃げることはできない。当事者はすでに2ヶ月もたち、限界に近いところまで考えていると思う。もう少し大所からのご支援というのはないのかと、ふと考える。

 この様に大学の中にも大きな被害地と小さな被害地が混在する。そうしたとき、被災者なのか、助ける方の側なのか、その当たりもはっきりしないというか、臨機応変な対応が必要なのだろう。実験をやっていても、助けることもあれば、助けてもらうこともある。持ちつ持たれつでなければ、共同研究も成立しない。共同研究のようなことを考えると、もう少し手伝えることがあるのかも知れない。というか、ぜひ、そうしたい。

 今回の震災では新しい試みとか、超法規的措置で迅速に様々なことが進展している。新しい試みとして評価されているのは、Twitterのようなつぶやきが、津波の被害から逃げられたり、食糧が届いたり。そんなことが放射線による汚染が分かるような仕組みもそうした活動で見えるようになっているURLがあるとか。またそれらを再解析したURLとか。何より迅速にものが見えてくるのは、ありがたい。ただ、こうした評価されたこともあれば、依然として、新しい試みが評価されないままということも多くあるのではないだろうか。様々な外圧でずっと後になってから評価するのではなく、萌芽的な段階での評価というのはできないのだろうかと、考え込むこともある。そうしたら、もう少し世の中が変わっていたのだろうと。。。。

DSCN0499.JPG 気がついたら、5月も半ば。大学が始まったのが連休明けと言うこともあり、どうも頭の中のカレンダーは、1ヶ月遅れの感がある。なんとか、直る方法はないのだろうか。。

 
 わたなべしるす

 PS. あと1ヶ月ほどしたら、研究科のオープンラボとなった。別ページに詳細があるが、また今年も多くの方にきて頂き、新しいメンバーと新しい実験を構築できればと思います。


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心の問題、眠っているdata、風が吹いたら、。。。(5/9)

2011年5月 9日 (月)

 先週末、とある学会の評議員会で東北大、仙台、東北地方の東北関東大震災に伴う被害などについて、報告する機会がありました。昔と違って、mailなどがあり、それで返事が来るので、それなりに復活していると思われる方もいれば、まだ、これからという点を話すと、継続的なサポートの声を頂いたり。その中でも議論になったのですが、3/11のM9.0というのはとてもすごい搖れでした。3Fという場所でさえ、かなり揺れました。もっと高層建築の建物にいれば、もっと大きかったと思います。場所によってもかなり違います。そのときから比べれば、余震はあるものの、小さくさほどでもありません。ただ、これは、人の心の感じ方の問題です。渡辺は大きな搖れにひたすら耐えてと言うか、何もできずに立っていました。天井が落ちるなどが起きなかったおかげか、特に恐怖心は植え付けられませんでした。ので、搖れがきても、さほどという感じです。一方で、RIを使わないで、遺伝子実験をやった世代でもあることから、放射性物質の飛散には頭を抱えるというか、そちらの方が恐怖の塊でしかありません。いずれ、こうした「心の問題」で、仙台に帰ることができない学生がずいぶんたくさんいると言うことを伺っていました。本当は、そうなんだけど、それが言えないという方も多いのではと危惧しております。そんなとき、共同研究が例えば、関西方面などであれば、また、違った雰囲気で実験できるでしょうし、共同研究ベースがなくても、新しくそうした方々を受け入れてくれると言うことを学会として、とりまとめていただけると言うことを聞き、ほっとしております。頭では分かっていても、心の問題はそれとは違う反応をしますので。。。

DSCN0498.JPG そういえば、出張先で「放射線遺伝学」に造詣のある先生とお話しする機会がありました。今も農水省には、放射線育種場というのがあり、gamma線照射により、新しい品種が出ています。自家和合性に変異した、「おさ二十世紀」梨というのもあります。そうしたpositiveな面は、学生の頃の「植物育種学」で習ったのを思い出しました。ところが、この様なことが確立するまでには、放射線が生物に対してどのような影響があったのか、動物、植物を交えて様々な研究があったようです。植物でも、trickyな系を使って、低線量の放射線が与える影響というのを調べた方がいたというのを伺い、今の状況を想定していたかのようで、驚きと感動と感謝の気持ちになりました。渡辺の方でも十分に咀嚼できてない部分があるので、また、改めて、このことは記したいと思います。お時間をいただければと思います。ここで思ったことは、植物、生殖、遺伝というこの別々のことを見ても、渡辺の知らない眠っているdataがたくさんあり、それらを死蔵しないように、利活用できるようにしなければ、なんのために、それが積み上げられたのか、ということを思い知らされたような気がしました。これを機に、昔の本を探してめくってみるだけでも、考え方がずいぶんと変わるのではと思いました。

 心の問題も、古いdataも、こうした事態が起きたので、考えるようになったのかもしれない。まさに、「想定外」とも言えることと言うか、「風が吹いたら桶屋が儲かる」みたいな関連がないようなことを関連づけるしか、これからの社会全体を考えるのしかないという気がする。社会だけでなく、サイエンスもかもしれない。ありきたりのことでは、このあと大きな発展は見込めない、そんな気がしてならない。。。。


 わたなべしるす

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