東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

研究室ダイアリー

3/11(金)、14:46から今日まで、その10(5/3)。

2011年5月 3日 (火)

 その9を記してから、10日近くたちました。前回の記事を書いたときには、揺れない時間帯というか、時期になっていましたが、また、よく揺れるようになりました。慣れるというよりは、搖れ始めたら、研究室のテレビをつけて、地震情報を確認するのが多くなりました。地震情報のHPを見ていると、今回の地震があったところ周辺で、10-20回は1日に揺れているようです。大きい小さいはあれ。M4くらいでしかないので、研究室に被害が拡大するということは、ほとんどないのではと思います。現時点で一番大きな問題は、放射能汚染でしょう。これは、東北・東日本全体の問題というより、日本全体での深刻な問題となっています。それに伴った「風評被害」もいれると、Four disasterというしかないのかもしれません。。。。科学雑誌Scienceでは取り上げる記事が減ったような気がしますが、Natureでは、毎週何らかの記事が出ています。最近は、日本語のサイトもあるとか。

s-DSCN2687.jpg では、研究室はというと、この連休を前にして、今年度のメンバーがすべてそろいました。何よりだと思います。お互いの無事を確認でき、また、一緒に仕事を始めることがみんなそろってできたのは、本当にうれしいことです。3/11のあの時、本当にどうなるかと思ったのですが、。。。研究室には学生さんたちの声がするのが何よりです。また、そろっているメンバーの方々が、大掃除をして頂き、気分一新のlab環境ができたのも、これからの励みになりました。ありがとうございました。

 ただ、被災した実験器具が多く、この時期は、イネの作付け、アブラナの花のサンプリング、そして、アブラナの花の花粉、めしべの遺伝子型、表現型を観察が重要な時期になります。ところが、この震災で蛍光顕微鏡が墜落して、鏡筒は折れ、システムが破壊される大破でした。。。。さすがに頭を抱えていたのですが、20年近く前の学生の頃の古い蛍光顕微鏡を発見し、写真撮影はできないものの、何とか使えそうということが判明しました。何とか、この春は最低限ですが、乗り越えることができるような気がします。

 連休中にどこかに出かけることもあまりなかったですが、震災直後から比べれば、町中の人でも多くなりました。ただ、上記のような余震が続くこともあり、瓦葺きの大学創設当時の建物は、そのたびに被害が大きくなっているような気がします。そういえば、この10日間に、工学部での「科学者の卵」の会議の時に、工学部の被災現場を見せてもらうことができました。震災直後のNatureにも東北大のことが記事になって出たようですが、その記事の写真の現場を見ることができました。エレベーターは落下し、柱、梁が折れ、壁が落ち、という惨状でした。ちょうど、東北出身の国会議員の方がいらしていましたが、その方も、これは立て直しですねというようなレベルでした。それくらい大きな被害地でした。そんな中、建物の真ん中には、戦前の電波通信の基礎をつくられた「八木秀次先生」の胸像がありましたが、もちろん、被害はなく、なにをか言わんやという感じであったのが印象的でした。

DSCN0483.JPG 青葉山の被害が、片平、雨宮地区よりひどいというのは、実際に建物を見て、そう感じることができたのは、この10日間のそれぞれの地区での会議などで実感できました。これは感覚の問題かもしれないですが、渡辺が居住している片平地区がもちろん、建物が低いこともあるかもしれないですが、建物そのものには、さほどの被害はありません。中は、ぐちゃぐちゃでした。。。その理由として、片平は、江戸時代に「片平丁」と呼ばれる旧町名があり、昔からのしっかりした地盤であったのだろうと。それに対して、青葉山は、戦前には、旧日本軍(?)か何かの施設があり、亜炭坑が採掘されていたとか。完全に炭化した石炭でないことから、柔らかい、また、地中のあちこちに坑道が張り巡らされているとか。そんな山の上に建物があったのも被害が増大したのかもしれません。そう考えると、より安全な地盤に建物を建てるということの大切さを実感させられ、将来に対して、どうすればよいのかというコンセプトをもらえたような体験でした。

 この間のよいニュースは、落下した設備品や大きく降られて移動した「実験台」を交換したり、修理をするような予算が動き始めるのではということでした。これで何とか夏前までには実験をする体制が整えられ、その体制ができあがるまで、全国の大学で共同研究をしている方々から、一時的な実験引き受けを提案されているので、それで何とか、研究をさほど止めることなく、進めることができそうです。

 連休も折り返し。この連休で少しでもlabの皆さんの心身ともリフレッシュして、5/9からの新学期開始に様々な面で、よい方向に進んでくれるのではと思っております。


 わたなべしるす

 PS. 今日から出張ですが、宮城、福島ではほとんど田植えの準備もできておらず、栃木まで来ると、田植えの準備が進捗していたのは、今回の震災、福島原発放射能汚染が影響しているからだと思います。「直ちに健康に影響はない」という言葉をたくさん聞きました。震災以来。ただ、多くの放射能物質が空気中に飛散し、土壌表面、土壌中にあるのは事実だと思います。これがどれくらい土壌に残るのか、植物に吸い上げられるのか、このような異常環境になったことがないので、誰にもわからないことかもしれません。だからこそ、この時期に、植物科学を志すものとしては、水田をつくり、畑作をするということを今年こそ、しないといけないのだと。出張では、パソコンを打っていることが多いのですが、今回は、回復間もないこともあり、通常のような280km/hrの走行ではなく、徐行していることもあり、ゆっくりと風景を観察できたのも貴重でした。

DSCN1700.JPG それから、この地震を「東日本大震災」というようですが、通常、東北・仙台は北日本のような。。。その点では、「東北・関東大震災」という方が、しっくり来るというのを、改めて実感しているのでした。もちろん、命名する人にはそれなりの意味と心を込めてだと思いますが。。



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大掃除!

2011年4月28日 (木)

そろそろ仙台も暖かくなってきて、過ごしやすくなってきました。
震災による汚れを落として、5月からの新年度を迎えるために、
今日はラボ内の大掃除を行いました。

CA3J0090.JPG


印刷写りなど、床の汚れが目立っていましたが、
スチールウールの活躍によってだいぶきれいになりました。

びふぉー
CA3J0083.JPGのサムネール画像


あふたー
CA3J0085.JPG



アルバイトの方々や東京から来たボランティアの方にも手伝って頂き、
予想よりも早く終えることができました。
ご協力ありがとうございました。

震災の影響で心配していましたが、温室のアブラナも咲き始めていて、
そろそろ本格的に実験シーズンが開始しそうなので、
M2として、気合を入れて頑張ります。

広井




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今月からM1になりました山村です。

2011年4月26日 (火)

今月からM1になりました山村です。
まずは大震災の被害をうけられた大勢の皆様にお見舞い申し上げます。
心に大きな傷を負いながら、誇り高い日本を体現するような立派な態度を貫いている被災者の方々の姿に打たれました。

私は3月11日もラボにいましたが、地震の揺れと被害、その後の市内の大混乱は想像を絶するものでした。地震後には大学の指示により実家・長野に帰り、大学に入って以来最も長い帰省となりました。長野県も北部が大きな被害を受けましたが、実家のある長野中部あたりはいたって通常の生活をしていて、被災地とのあまりのギャップに驚き、周りの人と話していても、大震災の混乱と心細さを十分に伝えきれない、理解してもらえないもどかしさを感じました。仙台を離れても地震のことが頭から離れず、何事にも集中できず自分が自分でないような状態で、周りの人たちが当たり前のように日常の仕事を継続できることが不思議にも理不尽にも感じられたのですが、考えてみれば、東日本にあれだけのダメージがあったにもかかわらず日本が動いていけるのは、被災地以外の人々が日常業務を継続してくれているおかげに他なりません。

思いやりとは何だろうと考えます。10代半ばまでは飢えた子が一人でもいるなら、自分も食べてはいけない不安で眠れない子が一人でもいるなら、自分も寝てはいけないそれが思いやりの形である と思っていました。

今思うのは、辛い人と一緒に泣くのは思いやりのひとつの形ではあるけれど、それが絶対ではない。自分が少しでも有利な環境にいて何かが可能であるなら、その時それを行う、食べられるなら食べ、眠れるなら眠り、学べるなら学ぶ、他人の辛さに共感することは必要だけれど、引きずられずに自分の仕事を継続することもまた必要であり強さなのだと思います。

5月6日には生命科学研究科の入学式が行われます。
良い出会いの春になることと期待しています。

M1   山村 香織

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外部評価、アブラナ・ヒマワリ、歴史は繰り返す。。。。(4/24)

2011年4月24日 (日)

 新年度が始まり、この週末からはいわゆる「ゴールデンウィーク(大型連休)」が始まる。ただ、大学の入学式が5/6と言うことが関係あるのか、ないのか、どうも新年度が始まった感じがない。同じように、昨年度が終わったという感じもない。3/11の大地震があって、まだ、頭の中は中に浮いているのかも知れない。こんな脳みそ状態であるが、大地震以降、それなりの決断をして、labにとっての損益が最小になるように「危機管理」を行ってきたつもりであるが、それが良かったのかどうか、どこからか、いわゆる、「外部評価」を受けるしかない。実際、渡辺が行っているプロジェクトにおいても、多くの場合、必ず「外部評価」を受ける。あらゆる部分において、「外部評価」が適正に行われれば、「危機管理」もよりよい方向に機能するのではないかと感じる。誰か、御願いできないものだろうか。。。

 先日の新聞か、netに「セシウム」の回収に、「ヒマワリ」を植えようと。放射能汚染された土壌を改善するために。さらに、堆肥化を行い、体積を小さくして、保存というのを見つけた。「ヒマワリ」だけでなく、「アブラナ」も良いそうである。そういえば、「アブラナ」を栽培するとき、かなり肥料をやってもどんどん育ち、「肥料負け」しないという記憶がある。どんどん、窒素、リン酸、カリを含む肥料をあげていたような。。。この「カリ」つまり、「カリウム」と「セシウム」が植物栄養学というか、植物肥料学という点で、同じような挙動をするようである。つまり、できるだけ、貧栄養の状態でやるのがよいようである。「カリ」はあげないで、「窒素」、「リン酸」だけをあげる工夫をしなくてはいけないのは、最近の高度化成肥料になれている人間にとっては、不自由を感じるが、工夫をして、この「ヒマワリ・アブラナ」プロジェクトが成功し、放射能汚染された土壌が改善されることに、アブラナで役に立つのであれば、ぜひ協力したい。そういえば、5年ほど前に、とあるプロジェクトで、「イネ・アブラナ」を「戦略作物」という定義をして、この作物が重要であると提案したが、rejectされた。今日のようなことがあることを予測した説明を行い、その重要性をもっとアピールできれば、その間の実績で今回の震災に、より大きく貢献できたのではないかと痛感している。

DSCN3096.JPGのサムネール画像 こうした被害をtotalに解決するためには、やはり、人類の全知全能をかけて、解決することが重要であろう。つまり、領域融合を行い、使える科学技術を総動員する必要がある。すでに周知となっているが、「貞観地震」と言うのが、1,000年くらい前にある。それについても、東北大学の10年前くらいの学内の冊子にとある教授が書いていて、警鐘を鳴らしているらしい。つまり、歴史は繰り返すと言うことであり、領域融合は文理融合まで考える必要があるのだろう。そういう意味で、東北大学で行っている高校生教育プログラムの「科学者の卵養成講座」でそうした予測した人がいたことを紹介できなかったのは、科学者の一人として、反省すべきであろう。つまり、こうしたかつての歴史の意味であったり、昔からの言い伝えであったりするものが、その時代の科学というか、英知の全てをもって記したものであるのだろうということを伝えれなかったのは、。。。新しいことばかりに目がいきがちなことを、そうでなく、「温故知新」をすることが、いまのことをする大切なことなのであろう。そういう目で、自分の研究全体を見つめ直す良い時期なのかもしれない。


 わたなべしるす

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3/11(金)、14:46から今日まで、その9(4/23)。

2011年4月23日 (土)

 その8を記してから、10日近くたちました。一時期、よく揺れる頃がありましたが、今、比較的仙台方面は揺れなくなりました。ただ、ニュースで見たのですが、震源をプロットすると、空白域があり、それがこの近くとか。早く小さな地震でよいので、その空白を埋めてくれないかなと思う今日この頃です。

 あれから10日たち、研究室もメンバーがだいぶんそろい、日中は後片付けをしたり、花が咲いて、アブラナの実験ができる準備をしたり、イネの作付けの準備をしたりという毎日になってきました。

 ただ、こまったことは。。。。

 あれほど、急ピッチで、被害状況の調査などが行われ、研究室にも、被害の番号を示すシールが壁などにあるのですが、それが貼られてから、1ヶ月近くたつにもかかわらず、また、その間に学内の安全に関する委員会の調査もありましたが、いわゆる、「復興」ということに向けて、そうしたところの補修であったり、予算的な措置であったりすることがいまだに実施されてないのが、頭の痛いところです。もちろん、しかるべきところでは考えておられると思いますが。。。

DSCN5403.JPG どこのどのようなシステムのところが、「動脈硬化」、「血栓」のようになっているのか、よくわかりません。分かる人がいたら、ぜひ、その当たりに対して、しかるべき処置をお願いできれば、来週からそろうであろう、新しいM1の大学院生の方々を良い形でお迎えできるのではと思います。もちろん、今回の震災ではここから比べればはるかに、被害の大きいところがありますので、そこから比べれば、ずいぶんとましなのかもしれないです。テレビだったか、netだったか、「仙台のことはさておき。。。。」というようなことも拝見しました。確かに、仙台の町中は、外見上はそれなりに立っています。建物は。しかし、細かく見ると、団地の中には、赤い紙が貼ってあり、使用できないということが書かれてある地区も拝見しました。その意味では、「仙台のどこのことはさておけるのか、。。。。」。。。。

 それから、学生さん、スタッフの方々、皆さんそうだとおもいますが、なんとか復旧、復興と言うことで、研究室、自宅でがんばっておられ、かなり無理をされているのだと思います。震災という大きな心の傷を負ったにもかかわらず。そう考えたとき、休めるときには、ぜひ、無理をせず、休んでほしいと思う次第です。心はかなり無理をしているのですから、気をつけるように。休むようにと、外から支援物資を送って頂く方々の手紙などに書かれてあります。知らず知らずに、疲れているのに、がんばりすぎていないか、そうした面の方をケアーしながら、連休前の1週間を乗り切って、連休でリフレッシュして、また、新しい観点で復興をできればと思うのでした。

DSCN4292.JPG 
 わたなべしるす

 PS. 復興に向けての遅れと言うことを記しましたが、もちろん、学外の様々なところから、支援のお知らせが届きます。先日は、国内外の遺伝子工学試薬のメーカーさんからのありがたいお知らせも。実験に使っていた、予定して冷凍庫にあった試薬のうち、特定のものですが、停電で使えなくなったものを「新品」と交換してくれるとか、他のメーカーさんでは、半額とか。支援の手が様々なところからあるというのは、うれしい限りです。

 この記事をupする直前に、nazunaにも東北大学の状況を書いてくれているのが、流れていました。いろいろなところで、仙台のことを綴っていただき、サポートいただけますように。。。

DSCN4268.JPG 今日、渡辺の高校の後輩が、東北大工学部に入学と言うことで、仙台に来られました。そんなことも、心強いというか、心和むことです。



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