東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

中晩柑、機械 vs.、まだまだ(4/5)

2014年4月 5日 (土)

 子供の頃は、こたつにミカンというのが普通というか。。。ミカンと言うより、ウンシュウミカン。これのよいところは、手で簡単に向けて、なかのさのうを包んでいるじょうのうもそれなりに柔らかくて、そのまま食べることができる。それに対して、子供の頃にミカンがなくなった頃に登場する「伊予柑」、「八朔」という、いわゆる中晩柑。これらは、皮を簡単にむくことができず、じょうのうも堅くて、そのまま食べるのは、少し難しい。伊予柑では、手で向こうとすると、糖度が高いので、手が汚れて、食べにくいと言う難点があった。それに対して、最近というか、現在、市場に出ている中晩柑、不知火(デコポン)せとか甘平紅まどんな(愛媛果試第28号)と言うようなのは、外の皮をむくことができ、ウンシュウミカンのように、ほぼ食べることができるのがよい。で、もちろん、これらの育種、品種改良は、簡単でないというか、年数がかかる。せとかは1984年に交雑した後代、甘平は1991年。25-30年。もちろん、もっとかかっているのもあるだろうし、もっと短いのもあると思う。せとかはずいぶん市場に出回っているが、甘平はまだ、majorでない。果樹の育種は専門ではないが、昔講義で聴いた範囲で言えば、交雑をして、花が咲くまでに時間もかかるが、幼木の時と成木では、果実の形質が違うという例もある。そうすると、ある程度の成木になってからでないと、形質評価が難しい。この期間は、10-20年くらいとか。そのあと、これと決めて、高接ぎをして、想定通りの形質が出る枝になるまでに10年くらいだろうか。そうして、市場に大量に出回るまでに数年。と考えると、30年以上前から、現在の市場を想定しないといけない。。。こんな果てしない育種をすることができる「育種、選抜の眼」を持っている昔の方々のすばらしさに感服する。ただ、こんな記事も。昨日の愛媛新聞に。甘平の花粉親は、デコポンではなくポンカンと言う記事が。。。。1つのシーズンに大量の交雑を行う。なので、こうしたミスはあるのかもしれないが、育種であれば、できれば、まあ、それでもと言えるかもしれないが、実験では、そうはいかない。交配したラベルと野帳をきちんと管理しておかないと。。。そんなことを改めて考えさせられた。

DSC_7378.JPG 身の回りには、たくさんの機械がある。と言うか、機械で作られたものというのもあるかもしれない。先日、造船に関わっておられる方に「これまでの造船を支えてこられた方の経験と勘を継続、継承というのは、かなり難しい」と。。。これは、もしかしたら、先の育種の世界でもそうかもしれない。では、何年、修行をしたら、その道のプロというか、経験と勘を獲得できるのか。。。それぞれの分野で違うのかもしれないが、いずれ、単純ではない。ただ、何事でもそうかもしれないが、一定のレベルまで早く達する人もいれば、結構かかる人もいる。一概に、ここでと言う線を引くことは難しい。というか、その道にいる限りは、修行なのかもしれない。。。ただ、修行をすれば、どこまでも上がれるのか、。。。もちろん、そんな分野もあるかもしれないが、人間力が機械に超えられたと言うことが今年も。。。。5種類の異なるコンピューター将棋ソフトと5人のプロ棋士が戦う、今年で第3回となった「将棋電王戦」。第4局で、機械の勝利が決定。。。。昔もこんな記事を書いたが、コンピューターのすごさを実感した。だから「量が質を凌駕する」と言うような言葉を目にするようになったのかもしれない。考えられないくらいの演算速度で計算し、人間らしさを持ったコンピューターというか、機械。どこまでいくのだろうか。できれば、経験と勘ががんばれるように。。。と思うが、そうはいかない時代なのかもしれない。

 大学に入ってから、今年で30年。その当時受けたのは共通一次と各大学ごとの二次試験。共通一次のできを考えると、よく合格できたとふと考えると思う。その共通一次も渡辺が受験のあと、2年で終わり。そのあとは、センター試験。ただ、そのセンター試験も途中で何度か改革があったような。。。少なくとも最初の頃には、英語のヒアリングはなかった。それがまた、改革をするとか。。。どんな方向に行くのか。何がよいのか。確かに難しい。それこそ、経験と勘という訳ではないが、時代の変革はあっても、この年代にはこれを知っていてほしいというのは、あるだろう。そういえば。。。孔子は「吾十有五而志於學 三十而立 四十而不惑 五十而知天命 六十而耳順 七十而從心所欲 不踰矩」と言うのを書いていたような。。。と言うか、高校の時の漢文で習ったような。。。それぞれの年齢で、きちんとできていたのだろうか。30歳でこれをやろう。40歳で迷わない。50歳にはなってないが、天命とは何かを知る。。。今でもちろん、迷うことはたくさんある。まだ、まだ修行であり、何かの年齢でと言う線引きは難しいような。。。。それが人間なのではないだろうか。もちろん、この域を超えているすごい人はたくさんいるかもしれないが、渡辺には無理なようなと言うか、さらなる修行と言うことで。。。久しぶりに、春の四国で一週間ほど過ごし、そんなことを思った。。。

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 わたなべしるす

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