東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

2011年4月の記事です。

【出前講義】福島県立福島高校・SSH、科学者の卵の現状と今後について(4/12)

2011年4月12日 (火)

 大震災の前までに、昨年度の出前講義が終わっており、従来であれば、昨年度のうちに多くの出前講義をしている学校とは、次年度、つまり、今年度の打合せをするところだったのですが、こちらと出前講義をする学校とがどちらもパンク状態で、なかなかできない状態でした。先週、「科学者の卵」養成講座の安藤先生、久利先生、岩渕さんと年度末の報告書のことなどを話した折に、今年度の活動をする上で、やはり、高校の状況、それも、様々な面で被災を受けているところについての調査が必要となりました。そのとき、ちょうど、4/12が福島高校の登校日となっていたことから、諸先生方の都合もあり、渡辺が伺いました。併せて、SSHの講義もお引き受けしているので、その打合せと研究に使っているアブラナの生育具合などの調査でした。

DSCN5378.JPG 出張の予定が決まった時点では、JR東日本の新幹線はおろか、在来線も開通していなく、高速バスかと思いましたが、4/12から在来線が開通し、新幹線も本数は少ないですが、福島--東京間が開通しました。朝方に福島・茨城県今日あたりで大きな地震があったようで、その関係で途中止まることがありましたが、無事、福島に。

 福島高校は、全国ニュースに出たくらいの大きな被害を受けており、校舎が4棟あるうちの2棟が立ち入り禁止レベルではないにせよ、継続して使用には耐えないと。。。。それで、プレハブができるまで、体育館などを利用して、授業をするようです。また、理科の授業で重要となる「実験」ができないという問題を抱えておられました。それより大きい問題は、まだ交通機関の復旧が不十分であることから、市内ではなく、周辺の市町村からも来る方がいるようで、そうした周辺地域の復旧、環境によっても、また、問題が生じるのではと気になりました。

DSCN5396.JPG また、SSHのアブラナの栽培もされていましたが、危険な建物からでないと出入りできないような場所にあり、何ともかわいそうな状況でした。。。しかたありません。とても熱心に管理、観察をしていた生徒さんがいたのにと思うと、余計にでした。。。SSHの実験も近くの研究所、大学を使われると言っていましたが、新幹線が開通すれば、ぜひ、東北大をお使い下さいというような議論ができたこともうれしい限りでした。

DSCN5384.JPG 科学者の卵の方は、震災の翌日が発表会でしたが、中止となった関係で、なんとか夏に発表会をしてほしいというコメントも頂き、運営をしている側も、なんとかそれに向けて準備をしたいと思います。

 生徒さんたちはとても明るく振る舞ってくれて、がんばろうという力をもらいました。ただ、気になるのは、「放射線の空間線量」です。どこの数字を使うかにもよりますが、仙台の屋外での値で、0.1マイクロシーベルト/時というのに対して、福島では、1.9マイクロシーベルト/時になります。単純に言えば、19倍になります。報道などでは、至急の危険というか、健康被害というか、はないと言いますが、これを少し計算してみると。

 福島に3hrいると、5.7マイクロシーベルトになります。もちろん、建物の中なので、少し減衰するというデータがあり、20%の減衰率として、4.6マイクロシーベルト。仙台で外に居続けて、2日間かかる放射線量をたった、3hrで浴びることになる。。。実験をしていて、1 order違う、つまり、1桁違うと、それは大きな差があると言いますが、仙台で2日間が、福島の3hr、それも室内なら、少し低い値と言うことを換算しても。計算をするまでこんなにも大きな差があるとは思いませんでした。安全と言われても、では、この数字を見て、すぐに福島に居続けることができるかと言われたら、言葉に窮するような気がしました。。。。何とかならないものかと思いました。ほんとうに。。。。個人の力ではどうしようもなく、もっと大きな上の方の力がぜひ必要であると痛感しました。なにとぞ、よろしくお願いします。

 SSHのサポート、科学者の卵の復活が、生徒さんたちにエネルギーを与えることができことなのかもしれないと、痛感した意見交換でした。また、そうした生徒さんの明るい笑顔がこちらのエネルギーでもありました。今日1日お世話になった、橋爪先生をはじめとする関係の先生方、生徒さんたちに感謝したいと思います。ありがとうございました。いつでも研究室の方にきて、実験などして下さい。バナナからDNAを単離する実験をするのは、いつでもサポートできます。もちろん、他の実験も。お待ちしております。

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 わたなべしるす

 PS. 福島高校の校内に震度計が設置され、観測をされている大学の研究機関を見かけました。この観測が次の地震に耐える建物設計に活かされるだろうことを、期待しつつ。。という感じで拝見しました。

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 研究室では、アルバイトをしてくれている方もいらしてくれました。震災以来、初めてです。やっぱり、たくさんの声がして、みんなで復旧という感じが出て、元気をもらえます。ありがとうございました。

 それから、館内放送で流れる、「緊急地震速報」が、初めて正しく反応してくれました。3/11も反応がなく4/11の余震でも反応がなく、困っていました。多少の空振りはあっても、来ることが予想されるのは、こちらの防衛体制がとれるので、何よりです。ありがとうございました。






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3/11(金)、14:46から、1ヶ月を迎えて(4/11)。

2011年4月11日 (月)

 今日は、あの「東北関東大震災」からちょうど1ヶ月になります。パートさんに喪章をつくっていただき、朝から喪に服していました。1ヶ月前の14:46には、館内放送があり、この震災で亡くなられた方々に対して、「黙祷」がありました(黙祷)。この1ヶ月、あっという間だったのか、ずいぶん長かったのか、時間の感覚がおかしくなっています。目の前でできることだけを、必死で片付けるので精一杯だったような気がします。やってきたことは、これまでの震災後の日記に記していますが、それが多いことなのか、もっとできたのか、悩む毎日です。。。

 研究室では、先日の金曜日のM7.4の地震の後片付けをしたり、年度初めの書類書きをしたりで、それなりに静かな、1ヶ月を迎えようとしていました。ここにも示しますが、このように本棚が崩れていたのも、

IMG_1059.JPG この様に、今は復活しました。もちろん、M7.4でいくらか崩れましたが、復活させることができました。

DSCN5375.JPG ところが、きょうの17:16に、M7.1の余震があり、今回の地震が今までと違うことは、その地震の後、船に乗って、海の上にいるような感じで揺れっぱなしです。もちろん、この震度(震度4)では、棚からなにがか落ちるようなことはなかったです。ただ、今回の地震の違うことは、震度3-4くらいの搖れが、3hrを越えた今でも揺れが止まりません。これまでの地震とは、異なる仕掛けというか、仕組みが違うのか、専門外なのでよく分かりません。また、専門の先生とお会いしたときに、お話を伺えればと思います。

 では、1ヶ月たって、研究室がどう変化したのか。本棚は先のようにきれいなりました。

IMG_1095.JPG 実験室も一見きれいにもどりましたが、実は実験台はゆがんでいたり、地震で揺れるようになったままであったり。天井に固定している天板はそのまま、本棚の固定もされていなく、かなり危ない状態です。。。

DSCN5376.JPG 1ヶ月たって、学生さんを迎えれるように、危なくないというか、ガラスがないような状態は作れましたが、それ以上になりません。何がどこでどうなっているのか、もちろん、大学よりもはるかに環境が悪いところもたくさんあります。そこも同じように、一定レベルまでは、いっているかもしれないけど、それ以上にはというような感を受けます。どこにどうしたら、何が起きるのか、現場は困っている状態です。といってもしょうがないので、できることを自分たちで、という感じです。気持ちの緊張も、1ヶ月で、渡辺だけでなく、研究室のメンバーも疲れていると思います。いつになったら、揺れが止まるのか、いつになったら、復旧が完成するのか、そして、いつになったら、福島原発が収束となるのか、なやみはつきません。心が安まらないのが事実だと思います。。。。その当たりも、ケアーしながら、これからの難局を乗り越えないと。。。

 何より、今日の地震でライフライン、交通網の復帰がさらに遅れることをないように祈るばかりです。せっかくガスが出て、それなりの生活をできるようになったのに。もちろん、大学のガスはいまだに出ません。ガス管が古くて、いつになるのか、見込みもないとか。。。頭を抱えることばかりです。。。。


 わたなべしるす


 PS. さすがに今日の集中的な搖れには、学生さんたちもこたえたようです。。。というか、普通の精神状態であればそうかもしれません。科学力を最大に使って、揺れを止めることができないかなと。。福島原発を収束させることはできないのか。。。。。渡辺の植物科学では、どうしようもないので。。。

 今日は、市内の小学校の入学式で、七北田小学校の入学式におよばれしておりましたが、また、卒業式同様に、時間がとれず、伺えませんでした。申し訳ありません。近いうちに、出前講義の打合せに伺いますので。




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【更新】研究・教育成果に2010年度卒業生の修士・博士論文タイトル追加

2011年4月11日 (月)

以下に2010年度卒業生の修士・博士論文タイトルを追加いたしました。

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科学研究費、危機管理、迅速対応・・・・ (4/10, 4/11一部改変)

2011年4月10日 (日)

 震災であろうと、天災であろうと、人災であろうと、時は無情に流れていく。その中でも研究者としての誉れであり、この震災を乗り切り、研究室を運営する研究資金であるのは、科学研究費(科研費)である。今年度は、若手研究(S)という項目の5年間の研究の4年目になります。まとめるという時期でもあります。5年のプロジェクトの多くというか、ほとんどで中間評価というのを受けます。ちょうど、3年目が終わろうとした時期の、3月の終わりに。。。そうした中間報告が来るであろうと言うことは伺っていて、いつなのかと思っていたとき、3/11(金)を向かえてしまい、何の対策もできてなかったのでした。仙台での日本植物生理学会の開催など、様々な案件があり、その対策は不十分などころか、震災で頭の中からぬけていました。心に余裕があれば、昨年度の形式をdownloadして、対策くらいと思うのでしたが。。それを忘れさせるような「大震災」でした。。。。

DSCN4651.JPG そんな報告書に対して、サポートいただけるのは、研究を支えてくださる一連の研究チームでした。そうした危機管理が不十分な中で、サポートいただける、チームの皆さんに本当に感謝をと思う、今日この頃です。チームの1つ1つのピースが相互に連携して、サポートしあっていただいていることが、本当にこの研究を良いものにして、良い研究体制が構築できているのだなと、実感しました。また、チームメンバーの「迅速対応」という点も、感動ものでした。数日前の最大規模の余震の翌日でも、午前で片付けをして、午後一番で掃除をして、すぐにそれなりのことができる体制が構築できたのである。

 危機管理、迅速対応という点では、この1ヶ月の新聞記事で、驚くような記事があった。とある企業であったような気がするが、震災があったあと、30minでどの部署で何がどうなっていてどこにどんな対応をすることが重要で、それを粛々と進めたというのを見つけて驚いた。うちの研究室では、こうはいかないが、少しでも近づけたい。ただ、こうした迅速対応というのは、先の科学研究費でも同様に対応が求められている。つまり、実験、研究ではうまくいかないということがよくある。そうしたとき、どうやって乗り越えるのか、自分の研究室だけで対応できるのか、コラボでどこかの研究室との対応なのか、あるいは、どこかにアウトソースするのか。そうした決断は、植物というどうしてもその生長に依存して、また、花という、生長の中でも最後のステージまで行かないと、何もできない領域を研究しているものとして、いろいろと考えさせられる、「大震災」でした。


 わたなべしるす

 PS. 震災から、あと少しで1ヶ月、。未だ、福島原発がどこに行くのか、不透明です。。。。RI世代でなく、no-RIで実験をした世代と言うこともあって、。。週明けには、SSH, 科学者の卵でお世話になっている、福島高校に伺う予定です。結果については、またお知らせします。。。。。


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3/11(金)、14:46から今日まで、その7(4/8、一部追加あり4/8, 10)。

2011年4月 8日 (金)

 その6を記してから、学生さん、スタッフもそろいはじめ、研究室復興に向けての活動をしたり、学生さん、アルバイトの方々から、いつ頃仙台に来るというような状況でした。。。それに向かって、電気・ガス・水道というライフラインなども整備され、研究室ではガスを残すばかりでした。さらに、交通網も整備されはじめ、新幹線、地下鉄も月末に、空港は来週からというような話をしていたところでした。もちろん、いくらかの余震はありましたが、それで落下物があるなどのことはありませんでした。

DSCN0468.JPG ところが、その平穏をぶちこわすような、M7.4, 震度6弱の地震が、4/7, 23:32にありました。今回は夜中と言うことで、スタッフ、学生さんとも自宅で、急ぎ、labに出かけたところ、本棚の落下、大型機器類の移動、過電流に伴うと考えられる機器の破損などありました。自宅にいましたが、波に揺られているというか、四国、今治から、船で本州に渡るときの天候が悪いときの大きな搖れのようでした。もっと大きいかもしれません。たぶん。ただ、前回より、はるかに短く、搖れも小さかったので、上記のような被害で収まっています。ただ、まさか、改めてこの様な地震が来て、こうしたことを知ることになるとは。。びっくりです。。。

 このHPをuploadしたのは、その巨大な地震から、24hrも立たない、ちょうど、震災から、28日、4週間を迎えたところで、多くの犠牲者に黙祷をして(黙祷)、少しでも通常業務をと思っていた矢先でした。。。。まさに、なんとかは、忘れた頃にやってくると言うことを痛感した、余震でした。。(もちろん、28日前の大地震もそんな感じでした。)。何が起きるか分からないことを想定して、いろいろなことを考えておくべきでした。最近の搖れで、小さかった油断がこうしたことをもたらしたと。。。。

 ただ、真夜中でしたが、寝る前でしたので、labに来てみたら、「危機を告げる警報」が鳴っていて、なんとかそれを留めて、問題の回避ができました。この点では、「初期対応」の重要性は改めて認識しました。28日前の大地震が多少は参考になったのかもしれません。また、安否確認をくれた方々も。labの。なによりでした。こうした危機管理マニュアルのようなものがすこしずつできていくことが、次につながると。。。。落ち着いたら、各人の避難用に、ヘルメット、長期保存水、乾パンなどの確保と保存が重要であると言うことで、きょうの掃除が終わりました。せめて、もう少しゆっくりできる環境がほしいものだと思いましたが、ともいっていってはいられないので、気合いと根性で乗り切るしかないかと。今しばらく。。。そんな震災から、28日がたつ直前の余震でした。。。。

 わたなべしるす


 PS. 何を持って被災地と規定するのかは、今回の大震災ではあまりに大きすぎました。。。仙台市をとっても、海岸から山の方まで表現型は様々です。被災の大小はあれ、心に大きな傷ができているのは、仙台の町中にいる、この研究室のメンバーも同じです。また、いつも出かけている出前講義を行っている小学校、高校などの児童、生徒さんたちも。そうした方々にお会いして、また、いつも出前講義をしていくことが、これまでやってきた社会貢献を継続し、研究者にもできるボランティアなのかもしれないと。。。そんな議論をして頂けた理学部、工学部の先生がいらっしゃいました。ありがとうございました。

 公開したあとに、これまで出前講義で伺っていた高校の先生から、23年度のSSH(Super Science High school)採択のお知らせを頂きました。またこれからも伺えるかと思うと、昨日の地震からのうれしいお知らせでした。ありがとうございました。また、お世話になります。

 今回の地震では、上記のような過電流があった原因が少し分かったような気がします。今日に至っても、東北地方では大停電だとか(テレビをあとで見返したら、仙台の北部で、青い閃光が見えました。)。と言うか、研究室に行くまでの間でも、パッチ状に停電したところがあり、信号機も消えている状態でした。そんな中で、研究室、自宅とも停電しなかったのは、本当に偶然なのだと。何が起きるか分からないのが災害ですが、そうしたことを超えて、対策を考えておかないといけないと。。

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