東北大学大学院生命科学研究科 植物分子育種分野 渡辺研究室

研究室ダイアリー

50年、田舎、今週(10/6)

2014年10月 6日 (月)

 50年といえば、半世紀。渡辺の年齢がそれに近いものがある。この前の10/1(水)に、50年を迎えたのが、東海道新幹線。昭和59年に仙台にきたので、そのころは、開業から20年目。東海道新幹線には、まだ、0系しかなかった。100系の新幹線になって、2階建てになったり、前の席との距離が広がったり。300系、500系、N700系と進化したような。そう考えると、最初の20年、0系だったのが、今の700N系までの進化を遂げるのに、30年。その背景にどの様なもののがあったか。それを理解することで、科学の分野でも同じように50年やったら、何が起きるのか、1つのモデルになるような気がした。自家不和合性の研究というか、今の研究を始めてから、ぼちぼち30年。100系の新幹線くらいまでは進化していないと。という一方で、一直線の進化というか、派生系もあってよいわけで、新幹線に寝台列車があればと思ったことがあった。仙台から乗って、三原、尾道当たりで降りる。かなり、便利になる。何の理由だったか忘れたが、東海道新幹線と東北新幹線が相互乗り入れができなくなって、。。ただ、最近の50年の歴史物を見ていると、寝台列車の発想はあったとか。。。一方向への進化でなくて、脇道にそれながらも、本道はちゃんとやるような、そんな形でありたい。。。

DSCN3908.JPG 50年前、渡辺の生まれた今治がどうだったのか。よくわからないが、少なくとも、予讃線は電化されてなく、気動車であった。客車もあった。シートはほぼ直角で、松山まで各駅でいこうとしたら、どれくらいかかったのだろうか。かなりかかったような。今は電化され、特急なら30minくらいのような。50年前は、特急でなく、急行であったような。道路の幅も狭く、今では考えられないくらい狭いところをバスが通っていて、それにのって、今治の町中まででていた。で、渡辺の育った桜井地区は。。。田んぼと畑。遊ぶには事欠かないし、夏にはセミ、カブトムシ、クワガタムシ、稲刈りのあとは、秘密基地を作ったり、野球をしたり、冬にはたこ揚げ。そんな田舎が普通であった。そんな風景しか知らない渡辺がいきなり新幹線が通る仙台へ。そんな両方を知っているからこそ、田舎の大事さというか、田舎が持っている資源というか、そんなことを思う。地方何とかというのが、テレビ、新聞で言われていたような。そんなことを大学が先駆けて、。。田舎で問題となっている「過疎」という問題とすりあわせて。よいことではないかと思う。そういえば、この前から、渡辺の後期の講義である「展開ゼミ」の募集を行っているが、定年後は、農業をしたいのでという工学部の学生さんも。ありがたいことだなと。というか、そんな大事さがわかっているのだと。。。たいしたものだな。。

 今週は何故か、講義はあるもの、出前講義から解放されている。もちろん、週末には、大学院生募集に関わる「オープンラボ」がある。そんなで、HPのこの記事を書いていたら、今週はノーベル賞各賞が発表とか。そんな季節なのだなと。もっと寒い季節だったように思っていたが。。。今日発表は「ノーベル生理学・医学賞」。脳の位置情報システムについてだとか。細かいことがわからないが、空間把握ということなのか、自分がどこにいるのかということなのか。そんなに迷子にならない方なので、それなりのシステムが脳みそにあるのだろう。たぶん。。。そんな今週かもしれないが、もっと大事なこと。科研費を書き上げて、uploadすること。その方が、こちらには大事なこと。というのも世知がないが、書くことも大事だし、それを通すことも大事と。。。50年たったら、さすがにこの世にいないと思うが、新幹線がどうなり、田舎がどうなり、科研費はどうなっているのか。ふと、そんなことを考えた週初めであった。

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 わたなべしるす

 PS. 台風18号はすごい被害をもたらし、また、来週も19号がくるとか。。。大学が休講になっていたというのを。。。学生の時に、そんな経験はなかったような。。。びっくりしました。


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10月11日は何の日だー?

2014年10月 4日 (土)

こんにちは、M2の辺本です。
あっという間に、週末ですね。

今週は私の実家である石川で過ごしました。
北陸新幹線が来年の3月に開業予定だということもあって、
金沢駅も色々新しくなっていました。
今まで慣れ親しんできた百番街が「あんと」になってリニューアル。
その中に六星の直売店「すゞめ」を発見。
大学時代、六星が通り道にあったので気軽に足を運んでいました。
よく美味しいおにぎりや味噌汁を買って、ほっこりした一時を過ごしたものです。
今回発見した「すゞめ」では和菓子を主に売っていますが、
お食事もできるようなので、今度はここでランチでもしようと決めたのでありました。
お福分けも素敵でしたよ。
こうしたちょっとしたお洒落な気遣いが金沢らしくて好きです。

今回の石川帰りの目的は、
学部4年間を過ごした石川県立大学へ遊びにいくこと。
遊びといったら、怒られますね。話し合いです。
久しぶりに大学構内もまわって、懐かしい気持ちになりました。
私にとって大学で過ごした4年間は、
期待していた以上に多くのことを吸収した貴重な時間。
充実した4年間にしたくて必死だったけど、何だかんだ不器用な私に
いろいろな手を差し伸べてくださる先生方がいたことに感謝です。
あの大学に通って植物の研究と出会って、あの研究室に配属して・・・、
あれらがなかったら、今こうしてナベ研にいることはなかっただろうな。
んーご縁って不思議なものです。

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(今回カメラを忘れちゃったので・・・昔の写真を載せます。
4年生の時に配属していた研究所の屋上から撮った夕日よ。)

さて、来週の土曜日は入試説明会だそうですね。
研究をしたいというエネルギー溢れる学生たち、
是非色々なところを見回ってみてくださいね。
もちろん、ナベ研も覗いていってくださいなー。
なべさんも仰っていますが、この時期の受験となると、
希望のところに進めなくて、という感じの学生さんが多いのかしら。
そうですねー、人生希望通りに進まないものです。
でも辛いあーんなことや、苦しいあーんなことも、
全部意味があって起こっているものなのです。
というより、いかに意味あるものにしていくかが大事です。
と、さっきからお菓子ばかり食べてる私が言ってもね。
(ナベ研の皆さんは優しいから、お菓子沢山くれるのよ。)
あ、実は私も第Ⅱ期試験の受験者だったの。
試験についての質問があればお答えできるかもしれません。
ということで、会えるのを楽しみにしております。

ちなみに、入試説明会の日は10月11日。
オクトーバーウィンクの日でもあります。
10と11をそれぞれ時計方向に90度回して並べると
ウインクしているように見えますね!!
この日の朝、目覚めたときに好きな相手の名前の
文字数だけウインクをすると想いが通じるという、
女子中学生の間ではやっていたおまじないだそう。
きゃー!皆やってみてね!
そんな素敵な朝を迎えた後に、入試説明会くるといいよ。

M2 ナベ

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今日のラボ.....

2014年10月 2日 (木)

おばんです.仙台は晴天が続きましたが,今日は朝から曇り空です.
アパートの天窓が高い位置に存在するため,カーテンを付けられずに朝日が部屋に差し込み そして睡眠の邪魔をされる僕(M1 岩本)としては曇りは嬉しい限りです.
しかし,喜んでばかりはいられません.もうすぐ後期ゼミの発表が回ってくるのです.ボチボチ準備を・・・ そんな曇り空の下 ゼミ用論文を読みつつ,来週に発表が迫り焦る増子(鈴木)さんを眺めながら今日のラボの日常をダイアリーに書かせて頂きます.(増子さんファイト!!)


今日のラボ,(時間順,箇条書き)
・ナベさんが弾丸出張へ
・植物に水をあげようと,誤って自分の足に水を・・・・・ため息をつく僕
・女性陣がご飯へ
・ナベさんがお土産を持ってラボに帰還
・大人sが難しい(大人の)話を

要するに平和です.(了承を得ずに書き込んでいますが申し訳ないです.大丈夫ですよね(汗))

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さて,10月に入り今年も残す所あと2か月,つまり忘年会が近くなっていることを意味し,幹事をするであろう僕はバイトsとこの様な話を

去年は忘年会参加したの?」          「予定が合わずに参加できなかったんです・・・」

「お,今年は予定が合ったら参加してね~」    「はい.是非.」

「いいねー.何食べたい?肉か!鍋か!!」        「ん~(悩).あ!僕ラーメン食べたいです」

「・・・・・お,おう.」

彼は現在,パスタ等の麺類にサラダ油をかけて食べる事にハマっているとの事.彼曰く,「油を食べてる感じがする」そうです.(そりゃ~そうだろ(笑)) 食べたくなった方はお試しあれ,僕は彼とラーメンを食べたくなりました.
ラボのメンバー一同,美味しそうに食べる彼の姿に癒されています.是非是非忘年会には参加して下さいね.もちろん,他のアルバイトさんも参加して今年を楽しく振り返りましょう!
研究室配属の話や,植物(蘭)の話や色々なウンチク(為になるんです,恥ずかしながら・・・),そしてバンド(ドラム)の話,野球(ロッテ)の話等々楽しみにしてますよ^^


PS.
ナベさんのお土産を紹介!!
とても美味しいと思ったら,栃木のお土産だったんですね.流石 栃木県!!
(栃木県人の贔屓目の意見でしたww)

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残りわずか!!

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ナベさん.
お土産ありがとうございます.出張お疲れ様です.


明日も予報は曇り!!良く眠れそうです!
それでは(^_^)/~ M1イワモト

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そなえる。

2014年10月 1日 (水)

おばんです!増子です。最近、すっかり日が短くなりましたね。

さて、先週はお彼岸でしたね。うちでは、お彼岸は親戚のお墓を巡ってお参りし、ついでに親戚のおうちを巡って近況を共有したり、お花をそなえるのが慣習となってます。親戚が仙台に多いから、というのもありますが。お寺さんのお彼岸法要にも行きます(母が)。私、お彼岸は、春、秋ともみんな親戚のお墓を巡るもんだと思っておりました。年配の親戚もそうであり、近隣住民もそうであり、北山五山のあたりなど、お彼岸渋滞が出来るので、そんなもんだと思っておりました。葛岡墓苑行きのバスもこの時ばかりは人多いですし。しかし。。。これって仙台だけみたい。自分の家のお墓には行くけど、親戚のところにはいかないみたいですね。他の地方出身の学生、スタッフに話してもきょとん、とされるのでありました。仙台ルールでしょうか。

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そんなお彼岸すぎのある日、関東圏の方が、2011年3月22日のダイアリー内写真等を地域の防災訓練で使いたい、との申し出を渡辺先生に下さいました。これには恥ずかしながら、うちの大破したキッチンが写っておりまして。。。その様子を地域での備えに使用したいとのこと。お役に立てるなら何よりと、私も快諾いたしました。

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宮城県は地震の多い地域です。36年前の宮城県沖地震でも、東日本大震災とは単純に比べられませんが、甚大な被害を受けました。死者28名、負傷者1万人以上。当時の建築基準法もこの地震を機に改正されました(改正は1981年ですね)。その後も宮城県沖はちょくちょく大きいのがありますし。東日本大震災も、仮に地震だけだったら、これほどまで甚大な災害にはならなかっただろう、とも言われています。もちろん、観測史上最も長く、強く、広範囲に日本国土を揺らした地震であることは間違いありませんし、生命科学研究科はじめ、東北大も全体で凄まじい被害を受けました。そのあたりは、渡辺先生の手記をお読みいただくと、当時の空気感が分かって頂けるかと思います。

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宮城県出身の人間は、宮城県沖地震の時の被害のひどさ、ブロック塀が壊れ、沢山の人が下敷きになった、屋根瓦が吹き飛び隣家に突き刺さった、ピアノが部屋中を走った等の逸話を、比較的多く聞かされて育ちます。またあんな地震があるかもしれない、と思うからこそ、仙台の家にはブロック塀が少なく、屋根も瓦じゃなくトタンが多いのかもしれません。その心の備えが、世界で称えられた被災地のモラルある行動にも繋がったと思っています。勿論、物質的備えも大事な訳で、上記写真がその提起の助けになれば、幸甚です。

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さて、備えるといえば。。。。私事ではありますが、来週水曜日、私、ゼミ当番なんです。今日であと1週間なんですが、まだ準備をしておりません。助けて、グラスキャットフィッシュ!備えって大事ですね!ということで、しばらく巨人の肩の上に立って、世界の研究を眺めますー。これはこれで、非常にぜいたくな悩みで、ありがたいことです。ひー。がんばりますー。

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増子(鈴木)

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アナログ、常識、古文書(9/28)

2014年9月28日 (日)

 周りを見ていても、昔より出張が多い。渡辺が学部生として、日向研に入った頃、日向先生の出張がどれくらいだったのか。。。ぱっと思いつかない。ただ、今の渡辺よりは遙かに少ないという記憶しかない。であれば、渡辺だけかと思えば、共同研究、プロジェクトの共同運営をされている先生方を見ると、同じようにあちこちに行っている。そんな昔のよかったことは、一度出れば、連絡のとりようがないこと。連絡を取ろうとしたら、宿に電話を入れて、伝言をお願いする、どうしても急ぎの時は、Faxなどで要件を入れる、くらいであった。なので、もう無理というような時以外というか、まず、あきらめて、自分でこうしようと決めて、もどってきたら、こうしましたという報告であったと思う。というか、日向先生が出張から戻ってくるまでに、言われていたあれをここまではやったぞ!!(実験ノートを机にたたきつける訳ではないですが、そんなイメージで。。。)という感じで、もどった翌日などに議論したのを思い出す。そんなアナログの時代なので、もちろん、Internetもないし、携帯もない。携帯と言うよりは、スマホなのかも知れない。そうなると、出張先でどんなことがあるのか、どんな街なのかと言うことをあらかじめ、調べておく、あるいはそれに類した本を仕入れて、出かけた。ところが、今では、そんな時間がないのもあるが、まあ、行って調べればよいとか宿で聞けばよいとか。。。時代が変わると、そうなるのだろうか。。。そうした、アナログ・デジタルと言うことも出先で問題であるが、それと同じくらい考えるのが、pdfをパソコンで読むのか、印刷するのか。。。結構、頭を抱える。書類全部になったら、たまったものではない。ただ、pdfは普段、大きな画面で見ているので、出張用のパソコンの画面では、。。苦労する。特に苦労するのが、2つ以上のものを比較しようと思うとき。これはかなり大変である。。。何とかしたい。液晶画面でなくて、有機ELだっただろうか、丸めることができる画面。そんなのが実現するのがよいことなのか、そうでないのか。。。これまた、難しい問題である。

DSCN3928.JPG そんな出張からもどってくると、書類がたまっている。。。これも頭の痛い問題である。いろいろ工夫をして、出先でも処理できるようにしているが、アナログでなくて、デジタルのおかげである。。。そんな書類の中に「曙光」という全学教育広報誌があった。半期に1度、昔で言う、教養部から発行されている。半年前には、昨年度の実施の渡辺の基礎ゼミを受講し、発表会で受賞した木幡君がその基礎ゼミのことを記した記事があったのを思い出す。ただ、こうした教養部内での活動とか、先生方が何を考えているのかなどと言う情報発信は、思えば、渡辺が学生の頃には、何もなかったような。。。代わりに、あったのは、当時は意味不明に思われた「三◎塚」とか書いたわら半紙に印刷されたチラシと言わず、ビラと言われていたものが散乱していた。そんな渡辺の教養部時代と余り変わらないというか、少し前の教養部時代を過ごされ、いまは「科学者の卵養成講座」を一緒に運営している工学部の安藤先生の「「教養教育」という名の同床異夢」と題した記事を見つけた。もちろん、他にもこれはと言うのもあったのかも知れないが、何せ、書類の山を片付けるのが先決なので、おもしろいものから読んでみるという日向先生の教えに習って。。。それによると、1993年に教養部が廃止されたとか。助手になって数年、学位を頂く1年前の出来事だったのだと。。。職員でもあったので、旧教養部の教員が農学部にも来るとか、何とか、そんなことが学科の会議だったか、研究室の職員の会議で話題になったような。大学で、遺伝学をやりたくて農学部に来たのに、実際は教養部。学生証も教養部長のはんこが。。。なんか、だまされたような気分であったし、これはと言うか、おもしろいと思った講義は聴いていたが、そうでないのは。。。(この。。。。の部分は、当時、学生であった世代なら、ご理解頂けるのでは。。。)。その文章中に「大学時代には・・・・先生は教えてくれる存在ではなく、自分で勉強しないといけない自覚とか、・・・・」と言う下りが。確かに、分厚い有機化学の本の一部を講義して、そこから試験だと。。。全然できず、これは困ったと思ったら、その試験でよくないこと(これも想像をしてほしい。。やってはいけないこと、当たり前に。。。)をした学生がいたらしく、全員が再試験。何で、全員と思ったが、逆にほっとして、気合いと根性で本を読み込んで、単位をgetしたと言う記憶だけある。今となって、本を見たら、わかるのかも知れないが。。。あと「読み書きそろばん」と言うのがあって、これはよいことだと思ったら、そのあとに、国際化対応で、英語力もとか。。。これは困った。。。教養部時代からと言うより、それ以前の問題かも知れないが、少なくとも、論文を読み書き、するくらいは。。。しゃべるのが、聞くのが難点であるが。。。いずれ、手持ちのdataをためなように論文として発表することが大事なのだろうと。最後の方に「価値創造力」、「パラダイムシフト」と言う言葉があった。難しい言葉と思ったが、「常識」と思ったことをひっくり返す考えと言われれば。。。ずいぶん、学生の頃に学習したような。。。というか、ずいぶん、痛い目に遭ったので、。。。これだけは、何とかなるのかも知れない。非常識と言われても。。。

DSCN3829.JPG そんな教養時代、理系の科目はそれなりに何とかなった。子供頃から苦手であった天文学以外は。。。その講義で覚えているのは「陽子、量子」と言う言葉。物理学の話かと思ったら、そうでなかった。。。それこそ、非常識で。おもしろい人もいるものだと思った。。文系はと言うと、何故か、今治人だからであろうか、経済学だけはおもしろかったし、試験の時にも倍以上くらいの答案を書いたような。ただ、fitするのがなかったのか、理由がわからないが、歴史とか、そういうのがなかった。今になって、歴史の重要性を理解して、古い本を読んだり、古文書は読めないが、文理融合のプロジェクトも始めたり。。。そういえば、この前の倉敷天城中学校でのSSH特別講義の時、玄関先に古文書というか、漢文というか。。。。きっと著名なものなのだろうと思ったくらいで。まだ、まだ、修行が足りない。。そういえば、さっきの安藤先生の最後のパラグラフには「真の自立には知的判断力や大局観が必要であり、そのためには文学、歴史、科学、芸術への深い好奇心と継続的な学修が求められる。」と。。。一見関係ないように思えることを結びつけることができるからこそ、新しいことができるのだと。。。そんな好奇心があればこそ、よい文章も書けるのだろう。。。ということで思い出した。出張先で思いついたことを、ノートの端に殴り書きして、「古文書」の読めない文字のようになった「科学研究費」の答案の一部を早く読み返して、アナログからデジタルにしておかないと。。。読めないような文字で書いてあるので、。せっかくの思いつきが。。。消えてしまってはしょうがないので。。。そんな9月最後の日曜日であった。

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 わたなべしるす

 PS. 先日の英語の単語の使い方に関連した記事ではないが、「米国では10人に1人が「英語が苦手」」と言う記事が。。。何か、狐につままれたような。。。。ただ、最後には、やっぱり英語が重要だと。。。。困ったものだ。

 PS.のPS. 話題の中に入れることができなかったが、昨日の昼頃に岐阜県と長野県境の御嶽山が噴火して、多くの死傷者が出ていると。。。雪のように積もった灰の中を歩いているというのを見て、鹿児島での桜島の噴火を思い出した。亡くなられた方々のご冥福を祈りつつ、。。黙祷。



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